📝原田孫七郎まとめ

原田孫七郎Topics

📗日本と台湾の史上初の公的接触者

なるほど. しかし日本人がそもそも中国大陸からきたのでは?

そもそも台湾にいってもそもそもだれと交渉すればいいのかわからず帰ってきた.

;; https://twitter.com/Formosanhistory/status/1052041190428667904

1593年、豊臣秀吉は原田孫七郎に「高山国」に朝貢を求める書簡を託したが、「高山国」を発見できず帰国した。これが日本と台湾の公的な接触の始まり。

📗スペイン領フィリピンの総督ゴメスに日本の属国になれと喧嘩売る - 原田孫七郎

秀吉の銘でスペイン領フィリピンの総督ゴメスに日本の属国になれという.

台湾に同じことをしようとしに旅に出たが台湾の統一国家が見つからずに帰る.

この空気読めない行動が日本をスペインの植民地化から防いだという歴史解釈もある.

;; https://books.j-cast.com/2019/02/03008587.html

秀吉は朝鮮出兵の前後に、スペインのフィリピン総督に対して服属要求の書簡を送っている。また、インド・ゴアのポルトガル副王に対してもキリスト教禁止を通知している。さらに両者に対して「明国征服」の野望も伝えている。著者はこれらから「次はお前たちだ!」という秀吉による脅しのニュアンスを感じ取る。

つまり、秀吉の朝鮮出兵は「ポルトガルやスペインによる世界征服事業への対応のあらわれだった」と見る。なかなかダイナミックな視点だ。スペインはこうした秀吉の態度や、日本の軍事力、厳しい禁教政策に恐れをなして「植民地化」を諦めたというわけだ。

🔖サイコパス

💡mixiコミュニティでの先祖情報

先祖の可能性がある. 💻mixiのコミュニティで教えてもらった.

整理すると要点は以下の2点.

  • 『姓氏家系大辞典』に菊池氏の記述.
  • 肥後熊本の出身.

以前に長崎の商人原田孫七郎の話題に触れましたが、この原田孫七郎は下記のドラマに登場するらしい(未確認)。 黄金の日日 (NHK大河ドラマ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%97%A5_%28NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29

原田孫七郎は原田喜右衛門の手代とあり、 原田喜右衛門は長崎の豪商、助左を海賊と勘違いし、捕縛。誤解が解け、助左とルソンでイスパニア軍との交易を持ちかけるが、助左に断られた事から船を襲い、五右衛門に命を狙われる。人身売買が元で助左の襲撃に遭い、敗死。 なんか恐ろしげ。原田孫七郎は定番の『姓氏家系大辞典』には菊池氏に記述があり、また、大蔵氏の流れを汲んだ菊池氏などとあるのですが、どうも肥後熊本の出らしいですね。長崎の貿易港開港で長崎にいたようですが。

肥後熊本の(大蔵の流れかどうかわからないけど??)菊池氏原田というのは、 肥後国球磨郡原田村の菊池氏から原田氏が出ています。 菊池氏族原田氏はある情報では揚羽蝶紋を用いた記載があるとか。 肥後国球磨群に原田邑あり 『菊池系図』に「持朝―為光(号宇土)-経兼(原田七郎、弟実遠」とあるようです。

肥後 宇土古城 室町時代には宇土忠豊の養子に肥後守護菊池持朝の子為光が迎えられている。明応二年(1493)、重朝が死去すると、そのあとは若冠十二歳の能運(武運)が継いだ。能運を若年と侮った重臣隈部氏が、相良氏と結んで謀叛を起したが、能運はこれを征圧した、しかし、家中の動揺は続き、文亀元年(1501)には叔父で宇土氏を継いでいた宇土為光が守護職を狙って叛旗を翻した。 球磨郡球磨村渡に原田城あり。原田孫七郎は肥後出身と言う話もあるので、この菊池(宇土)為光から出たとする原田氏の流れをくむ原田氏から孫七郎が出ているのかもしれませんね。 そういえば菊地系図の「経兼(原田七郎・・・」は何か通称孫七郎と関係を感じさせる名前ではありませんか。 ま、孫七郎は長崎にいたかもしれないけど、肥後出身の原田氏だということがあるようですね。菊池氏族と言うのも納得。

きつねさんはじめまして

別の原田コミュでは詳しすぎるのでこちらに移しました。

肥後国球磨群に原田邑あり『菊池系図』に「持朝―為光(号宇土)-経兼(原田七郎、弟実遠」この流れのようですね。

ちなみに、肥後宇土古城は、室町時代には宇土忠豊の養子に肥後守護菊池持朝の子為光が迎えられている。明応二年(1493)、重朝が死去すると、そのあとは若冠十二歳の能運(武運)が継いだ。能運を若年と侮った重臣隈部氏が、相良氏と結んで謀叛を起したが、能運はこれを征圧した、しかし、家中の動揺は続き、文亀元年(1501)には叔父で宇土氏を継いでいた宇土為光が守護職を狙って叛旗を翻した。

ちなみに、菊池氏の「丸に並び鷹の羽」と似ている「丸に違い鷹の羽」は同じ九州の大蔵姓原田氏も多く用いているようです。おそらくこれは南北朝以降大蔵氏と菊池氏の深い関わりがあったからではないかと考えています。

歴史上の人物で言えば、藤原姓菊池氏族原田氏としては、原田孫七郎が秀吉の下で名前が知れていますが、菊池氏族原田氏とされます。長崎の商人だそうですが元は肥後熊本だそうで、一族の可能性がありますね。

それにしても、この菊池系原田氏が丸に並び鷹の羽というのを知ることができてすっきりしました。

経が続いているのはいいですね。系図とかはあるのでしょうか?

考察

菊池氏族原田家初代が原田七郎経兼であり孫七郎とは名前が似ている, 孫? 年代的には初代から3代離れて孫であっても説明はつく.

通常, 経Xというのは死ぬときの最後の名前としてつけられるため 生前は経Xの名はつかない.

さらには苗字をもつということは, 元は武士であった可能性は高い. ただし1500年代というのは比較的苗字は手に入りやすかった, 秀吉あたりから厳しくなったとか.

ひいおじゃいちゃんが直右衛門, ひいひいおじゃいちゃんが三郎だったかも. あれ, 孫七郎と喜右衛門に名前が似ているな…困るな😕 しかしこのX郎というのは菊池氏の流れでも宇土氏の流れでもなく名戸氏の流れかも.

🔗References