菊池系原田氏まとめ

藤原姓菊池氏族原田家についてわかっていることまとめ.

江戸時代は島津家に仕える薩摩藩

肥後熊本からから薩摩に移り住み島津家に代々仕える. 薩摩の島津家には原田性は大蔵氏族と菊池氏族の2つある. うちは菊池氏族のほう. 鹿児島県の📝薩摩藩姶良郡蒲生町が先祖代々の土地. ひいひいひいおじいちゃんが蒲生八幡神社の神主兼村長とか.

肥後から薩摩に来る前の空白の100年の浪人時代がある

肥後から薩摩に移り住む以前の1500-1600あたりのことがよくわかっていない, 空白の100年.

このへんの空白の浪人時代について調べたいものの, もはや資料がないので追跡は不可能かと.

菊池から分家した経緯が不明なところがおおい

菊池氏族宇土氏の史実上の最後, 宇土為光の次からが初代経兼が始まるという資料があるらしい(わたしは文献を生ではみていない). ただ, 史実では宇土為光とその子供と孫まで斬首されている. 一族根絶やしにされたはずなのになぜわたしは家紋と「経」という通字を受け継いでここに存在しているのか?この関係については調査中だが資料が残ってない気もする.

一方, 菊池隆寂からの派生という資料もある. この名前「隆寂」という名前についてネットで検索してもでてこない.

家系図

初代: 👨原田七郎経兼

初代からの百年がほとんどわからない. 蒲生市役所の戸籍謄本から, 元禄時代以降の家系図はあったらしい.

ほかにも経がつく人たちが家系図にたくさん書かれているがその人たちはどこにいってしまったのだ? 今も鹿児島県に親戚が住んでいるのだろうか?もしくはブラジル(経彦). 不明なところはおおい.

👨原田七郎経兼

初代. はじまりの人.


📗経兼は熊野神社を信奉していることから清和源氏救仁院族の原田氏説

👨原田直右衛門経文

原田直右衛門経文.

📕西南戦争から夢中で撤退し馬糞に顔を突っ込む

📝西南戦争に参加して生きて帰った.

ひいひいひいおじいちゃんは18歳, その弟は16歳.

田原坂決戦敗北後薩摩に向かって逃げてきたが, 18歳という若さだったため西郷さんから君たちは若いので逃げろと言わ城山での戦いの前に隊列を離れたとか. 死ぬ気で逃走して, 途中で休憩のときに目の前に倒れたら馬糞があって顔面から馬糞に突っ込んだというクソみたいな逸話がある.

MAPをみると撤退ルートに蒲生がある.

恐ろしいな, 8/31に蒲生を通過してそれから1ヶ月以内に西郷どんは死亡. もっとも西南戦争自体が血気盛んな士族の若者たちが勝手に騒いだ結果はじまったけど…血気盛んな氏族の若者たち… 18歳…まあ空気読めない遺伝子だからそうだろうな.

👨原田喜作経始

原田喜作経始. 江戸から明治へ.

👨原田経竹

👴🏼原田経國の弟.

Topics

💡経は通字

代々男子には経の字がつく. 七郎が通称で経兼が諱.

最近, 菊地氏のWikipediaをみると菊池氏2代目から5代目まで経の字が連続でついていることを知り, 驚いた. 子供の頃から, なんでみんなうちの男は経の字がつくのかずっと不思議だった. これは菊池にルーツをもつのだというのがわかった. 1000年の時を経てなお, 自分の名に刻まれていることはすごいことだと思う.

  • 藤原経隆
  • 藤原経頼
  • 菊池経宗
  • 菊池経直

昔は, 普段は通称でよんで諱を呼ばなかった. 元服時に経の時が諱(いみな)としてつく. また, 同じ漢字を続けることを通字(とおりじ)という.


経の呪い

もう昭和になって の字つけなくていいんじゃね?ってことで, 名前つけなかったらその赤ちゃんすぐに死んじゃったとか(國八郎). やっぱり経をつけることにした, 怖すぎ.

ほんとうは経ではなく旧字体の經

けいの漢字は経のほうではなく, 旧字体の經が本物.

祖父までは經だった, 父親がわたしの名前を経で出生届を出したことは恨んでいる. 改名したい.

💡原田孫七郎と原田喜右衛門が同族の可能性あり(たぶん違う)

📝原田喜右衛門📝原田孫七郎は同族の可能性あり.

詳細: 💡mixiコミュニティでの先祖情報

<2024-09-25 Wed 17:59> updated, これは間違いの可能性が高い. 蒲生城落城が1556年でこのタイミングで蒲生にきた. すると1596年のフィリピン渡航というのが矛盾する.

💡天草島原の乱に参加した言い伝えあり(隠れキリシタンか)

天草・島原の乱に参加したとの言い伝えあり. 詳細は不明.

江戸時代に薩摩に士官するまでの100年くらいがなにやってたのかよくわからない. 土地もなく浪人のはず. おそらくキリシタンではなく浪人やけくその参加.

✨先祖代々気性が激しい性格

じじがよくいってたこと. よくも悪くも気性が激しかった.


個人的な感想では, 今は武士の世ではないためその矛先は外側ではなく内側に向いている気がする.

みんな, 📝神経症傾向が強い. 内側への攻撃で自分を傷つけている.

📜靖国に足を向けて寝ろ

先祖代々の家訓. 西南戦争で殺されかけたので.

大学のときのキャンパスの部室が靖国神社の目の前だったけど, 落研の部室で足を向けてふんぞり返って授業をサボっていた思い出.


一方菊池武光を含む南朝の武将たちは明治までの400年間逆賊だったはずなのに、明治時代でまさかの軍神として崇め奉られることになり、逆転現象が発生している..

🔦菊池武光は戦の神様として旧日本陸軍に注目されすぎて戦後の歴史の教科書から消された人


📕西郷さんは親戚

📝西郷隆盛さんも菊池氏族なので親戚かな?

西郷さんは30歳くらいで菊池源吾と名乗り子どもたちに菊の字をあてがったのはきっと菊池氏族の影響.

💡西郷さんの掛け軸

うちの家に西郷さんが寄って書をかいていったという言い伝えがあった. 鑑定士に見てもらったら偽物だったとか.

💡西郷家は下士でうちは上士

お父さんは西郷家は薩摩の下士でありうちの家系は上士であり尊敬してはいけないと言っていた. しかし私は西郷さんをとても尊敬している. そもそもうちが上士なことも怪しい. 郷士の間違いでは? 城下町に住んでないぞ?

ただしくは, 西郷家は城下士, うちは郷士では?

そもそも菊池氏族の枠組みならば同じ 菊池十八外城 を治めた西郷氏と宇土氏であり, さらには菊池氏族は 菊池家憲 という合議制をとっていたのでいわば自民党と民主党程度の違いしかなかったはず.

💡薩摩の丸に違い鷹の羽の大蔵姓原田家と丸に並び鷹の羽の菊池姓原田家の関係

江戸時代には薩摩には, 丸に違い鷹の羽の大蔵氏族原田家と丸に並び鷹の羽の菊池氏族原田家の2つがあった.

mixiを漁っていたら気になる一文を発見した.

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=155950&id=1854391

ちなみに、菊池氏の「丸に並び鷹の羽」と似ている「丸に違い鷹の羽」は同じ九州の大蔵姓原田氏も多く用いているようです。おそらくこれは南北朝以降大蔵氏と菊池氏の深い関わりがあったからではないかと考えています。

つまりどういうことなんだろう?室町時代の歴史を紐解く鍵がここにあるのか?

📝大蔵姓原田氏

📗島津義弘の蒲生落城後に屈強の武士を蒲生に移した

蒲生落城は1556年. この話は言い伝えにあるので

蒲生落城後、島津義弘は加世田・阿多・桜島などから屈強の武士を蒲生に移した。その主な姓は、赤塚・野村・山元・有村・松下・瀬之口・指宿・小山田・原田・長谷場・中条・川崎などである。

鹿児島県姓氏家系大辞典より.

📗経兼は熊野神社を信奉していることから清和源氏救仁院族の原田氏説

藤原姓で、菊池為邦の兄為光の子経兼に始まるという原田氏がある。経兼が肥後国播磨郡原田村に住んで原田氏を称したというが、この原田氏は熊野神社を信奉していることから、日向国諸県郡救仁院の田原川沿いの井俣上流の原田郷(有明町)に興った清和源氏救仁院族の原田氏と思われ、藤田氏・木場氏と同族である。

<2024-09-25 Wed 18:02> 為光の子経兼いうのがネットではなく書籍から確認できたが熊野神社は初耳だな. ここはよくわからないが言い伝えではこんな話はしらない. もう追跡不可能だな. あまり深追いはよくない.

鹿児島県姓氏家系大辞典より

📝清和源氏救仁院族原田氏

🔗References

ChangeLogs

  • <2023-10-01 Sun 22:17>
  • <2023-07-08 Sat 09:45>
    • 祖父が蒲生の市役所にいって手書きで写した家系図が手に入った.
    • すべての完璧な家系図ではなく江戸時代くらいまで.
    • これは手元でwikiにまとめて電子化しておきたいところ. GitHubで管理したい.
    • 現代ですら手書きでの所有はリスクなのに昔なんてもっと危ういな.

up: 📂先祖代々の歴史