岡本太郎まとめ
- 芸術家
- 川崎市を代表する🎨画家. 高津, 二子新地あたりで育った.
影響をうけた人
影響を与えた人
🎨対極主義
無機・有機、抽象・具象、吸引・反撥、愛憎、美醜といった対極が「調和をとらず、引き裂かれた形で、猛烈な不協和音を発しながら一つの画面に共在」している芸術.
そこにこそ「精神の高揚があるに違いない」と岡本太郎は語っている
Topics
💡岡本太郎は死してなお向ヶ丘遊園駅前の現役アイドル
死してなお, 向ヶ丘遊園駅前の現役アイドル.
向ヶ丘遊園南口の駅前看板にはいつも岡本太郎記念館のポスターと写真が飾られている. 正直水着美女のポスターを飾ればいいのにとUber地蔵しながらいつも思っていた.
川崎市多摩区は太郎とドラえもんがツートップ. こんなのしか多摩区には宣伝する魅力がないのか.
📚自分の中に毒を持て - 岡本太郎
- kindleで持ってる. 書籍で持ってたけど売却した.
📚今日の芸術 岡本太郎 光文社
ref. 🔖芸術論
大学生のときのメモ. 学生のころはこの価値観に共感したけど, いまはちょっとむさ苦しいかな.
いちおう川崎市多摩区が誇る観光産業が岡本太郎美術館, 向ヶ丘遊園南口駅前ド派手にタロウオカモトのポスターががいつも宣伝されているが水着美女のポスターを張ってほしい..
すべての人が瞬間瞬間の生きがい, 自信を持たなければならない, その喜びが芸術でもあり, 表現されたものが芸術作品なのです. 近代は, 自己疎外が起こり, 人間の個々の動きが部分化され, 目的, 全体性を見失ってくる. 社会的生産が自分本来の創造の喜びと一致しない. 瞬間瞬間の自己放棄, 不条理, 無意味さ, バカバカしさ. ほとんどの人は諦めて適当にやってます. 芸術とは, 失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう. 現代の人間の不幸, 空虚, 疎外, すべてのマイナスが, このポイントにおいて逆にエネルギーとなってふきだすのです. 力, 才能の問題ではない. たとえ非力でも, その瞬間に非力なままで, 全体性を現す感動, その表現. それによって見るものに生きがいを触発させるのです.
失われた自己を回復するための最も純粋で, 猛烈な営み. 自分は全人間である, ということを, 象徴的に自分の姿の上にあらわす. そこに今日の芸術の役割があるのです.
「いい」と思ったとき, その人にとって, そう思った分量だけ, わかったのです. いつでも自分に率直に. 何かを発見すれば, それがあなたにとっての価値なのです. 絵は, クイズではありません. 白紙でどんどんぶつかってゆき, それによって古い己を脱皮し, 精神を高めていくべきです.
優れた芸術家たちは, たくましい精神で, 常に前進し, 新しい創造をしています. 当然, 持ち合わせの常識では, ただちに判断できません. つまり, 創造と鑑賞は永遠の追いかけっこです. この驀進の中に芸術と, その鑑賞の価値があるので, とどまって固定的に理解されるものではないのです.
芸術は, 絶対に新しくなければなりません. 新しいということは, 芸術の至上命令であり, 絶対条件です. それは, 美術史, 芸術史がそれを明らかに証明しています. 芸術は, 時代の要求にマッチした流行の要素を持っていると同時に, 実は流行を突き抜けて, 流行の外に出るものです. しかも, それがまた新しい流行を作っていくわけで, 実際に流行を根源的に動かしていくのです. 芸術家は, 時代とギリギリに対決し, 火花を散らすのです.
人に先んじ, 無理解と戦いながら問題を出す. そして, 新しい美を発見していく. 猛烈なぶつかりあいが, 刺激になって世の中を進めていく. 最初に抵抗によってつくられたものと, 後で抵抗なくてつくられたものとは, その中にこもった気配がどうしても違います. 内容が違うのです. 一方は, 実際に激しさを内に秘めた, 純粋の芸術的な発想. 大変な努力と精神力によって自分自身を開いていった, 苦悩によってだけつかみとるなにものかであり, 他方は, それを応用してつくった, 惰性的な気分でも受け入れられるようになったもの.
本当の芸術とは, これまでのすぐれた芸術の条件が全くなくして, しかも見るものを圧倒し去り, 世界観を根底から覆してしまい, 以後, その人の生活自体を変えてしまうというほどの力を持ったものです.
芸術はここちよくあってはならない
すぐれた芸術は, 鑑賞者に一種の緊張感を強要します. 見る人は持ち前の知識では理解できず, そこに不安を感じるからです. モダニズム芸術ならば安心感がありますが, 創造的な芸術には不安があります. しかし, 芸術家は激しい意志と決意を持って, 規制の常識を否定し, 時代を新しく切り開きます. 創造者とほとんど同じ緊張感, 覚悟を持って, 逆にこちらも, 向こうを乗り越えていくという気でぶつからないかぎり, 本当の芸術は理解できないものです. つまり, 見るほうでも創造する心組みでぶつかっていくのです. そうして, 作品に追いつけない場合には, 疑惑と苦痛感を覚えるものなのです.
愛されるようになったゴッホは, もはや, われわれに今日の問題を投げかけてはいません. その生涯は, 今なお残酷にわれわれの心を打ち, 芸術家の共感を呼び覚ますものがありますが, 作品はすでに今日の問題ではないのです. 現在のわれわれに暴力的に働きかけてくればこそ, いやったらしい. だからこそ, 強烈にひきつけられる.
生活にぴったり合って, ずれを感じさせないモダニズムは, 素直に楽しめる. しかしそこには, 生きてあることの力とか恐ろしさ, 根源的な歓喜というものを感じることはできません. つまり, 芸術・人生における第一義ではないのです. いわば, よい意味でのレクリエーション, 気晴らしでしょう.
ところで, これとはべつに, 何かこちらの気持ちの中に入り込んできて, 麻酔薬のように末梢神経をしびらせ, 一種の慰めと陶酔感を覚えさせるようなものもあります. 俗受けする絵画の大部分がそうですし, 私小説, エロ小説, メロドラマ, 歌謡曲, 浪花節など, みなそれです. しかし, これは人間を低さや弱みに妥協させ, 甘えさせるもので, およそ精神を積極的に高めるものではありません.
芸術はきれいであってはならない
きれいさということは, 芸術の本質とは無関係です. 女の顔が綺麗だとか, 着物の模様が綺麗だとかは, ただ単純な形式美をさしています. それは, かならず見慣れてしまうものであり, 見あきるものです. それは自分の精神で発見するものではなく, 時代の典型, 約束事によって決められた型です.
芸術はうまくあってはならない
うまいことも, 芸術の本質とは無関係です. しかし, それを勘違いして, いわゆる職人的巧みさとか器用さなどというものが絵の価値, 芸術の精神的内容みたいに, ごっちゃにされ, すりかえられている面が多いのです.
芸術は創造です. これは, 決して既成の型を写したり, 同じことを繰り返してはならないものなのです. 芸術の技術は, つねに革命的に, 永遠の創造として発展するのです. これが芸術の本質です.
これに対して芸は, 古い型を受け継ぎ, それを磨きに磨いて発達するものなのです. 芸術が過去を振り捨てて新しさに賭けてゆくのに, 芸道はあくまでも保持しようと思います. 定められた型の中で完成するのです.
まず, 誰のために描くのか, したがって何を描いたらいいのか・・絵描きは苦しみます. 描かなければならない真の絵とは何だろう. いったい絵画とは何ぞや, という問題になった. そういうことを自分の責任において, トコトンまで突っ込み, 社会, 人類に対して, これだという一つの答えを出さなければ絵はかけない. この虚無を乗り越えて, 絵画は芸術となったのです.
芸術の本質は技術であり, 芸能の本質は技能です. 技術は, つねに古いものを否定して, 新しく創造し, 発見してゆくものです.