🖊Journals
<2025-12-29 Mon 16:44>明日から接心なのに、実家に帰ると母親がニラとネギが入った餃子を大量につくっていてドン引きする. 🥦五葷は臭う、ましてや嗅覚が敏感なところににんにくは最悪.
💭瀧見観音堂年末大晦日接心(2025/12/31)
12/30, 31は瀧見観音堂での接心に参加. 今回、はじめて通いで2日通った.
<2026-01-01 Thu 08:27>
唐子老師から道宣さんへのバトンタッチ
なんと5日間で17人くらいきたらしい. そして、去年は3人だった. 5日間だれも座らないのも伝統が断たれるので、3人が予定を併せて交互に一人ずつすわっていたらしい. その伝統かいきなり今年から17人で、古参のおじいさん3人は大喜びしていた. 法灯を受け継ぐエピソード. わたしも毎年これるか?わたしの興味は継続するだろうか?
身体
感想は、身体が痛い. 2日終わって、未だに傷みを感じるのは腰. 1日目にずっと結跏趺坐を組んでいたらスネが痛かった. しかし2日目に半跏趺坐にしたら傷みはなかった. 今までずっと結跏趺坐に対する執着があった. それを手放したら楽に座れた.
今回の工夫としては、毎回足を交互に組み直した. すると足への負荷が低くなる気がした.
一方で、半跏趺坐よりも結跏趺坐のほうが腰の負荷が少ないように思う. 本当にどっちがいいのかは、まだ見極めは必要.
帰りに一緒に帰ったおじさんは、結跏趺坐がしんどいと思った所で半跏趺坐を1回いれるらしい. なお足は組み替えない. 接心は登山やロングライドみたいなもので、いろいろノウハウ必要.
別の人の話は、足の痛みを頑張ってなんとかしようとすると我がでる. 手放して身体で座ると眠くなる. 集中にも適度な痛みは必要. もともと柔らかすぎる人は坐禅は継続しない. 苦労するひとがけっこうしぶとく継続する.
📜集中には反作用がある、マインドフルネスには我がある - 唐子正定老師
唐子老師光臨.
2日目のお茶会で、おくからヨボヨボのおじいさんが杖をついて出てきた. 家に帰って検索してみたら、伝説の禅僧みたいな人だった. 御年90歳. なにしろ日本で5番目くらいにアメリカに渡って禅の布教を単身で行う. 藤田一照さんが長くいたバレー禅堂を立ち上げた創始者だった. あのジョフズには影響を与えなかった.
そんなことは知らないで、僕と同じ年齢のとき普段なにを考えて生活していましたか?という雑な質問をしてしまった. 朝5時からの接心で4時半におきて、独りでも毎日継続できるだろうかみたいな悩みだった.
背骨が曲がってもう坐禅できないというのが切ない. それでも今は毎日書籍執筆で忙しいらしい. 90歳でも執筆できるのは素晴らしいな.
- 集中しようとすると、数息観もあるが、一時的にはいいが、そのあと反作用がある.
- 無念夢想はありえない. いったん消えたと思ってもまた現れる. 下手したら座っていて全部妄想のときもある. 妄想が現れては消えるのは、坐禅の風景. 川の流れの泡と同じ.
- マインドフルネスというのは、時代の要請もあるだろうが、そこには我がある.
禅のエッセンスをもらった気がした.
✨坐禅をしているときI’m in a State of Keidoと思った
自分のコンプレックスとして、道から逸れた生き方をしているということがある. 仕事にもつかず、結婚もせず、まともではない.
子供の時から、なにかの専門家になりたいと思っていたが、結局はいつになってもやりたいことはみつからない. 自分の道を経ることができない. 経道なのに.
坐禅はなにかをしているわけではないんだが、坐禅に打ち込んでいるとき、自分は道から外れていない気がしてくる. 自分を生きている感覚がある. I’m in a State of Keidoと思う.
唐子老師が、経文に書いてあることは全部坐禅の中にあるといっていた. わたしが坐禅をすることは、すなわち経道の実践でもある.