学んだこと
- ☸人間仏教: 中国現代仏教はこれ. 日本から情報が得にくい.
Tweets
<2026-09-30 Wed 13:43>ボランティアは昨日で終わり. やっと小6と中1の兄弟と仲良くなれたので未練はある.<2026-09-30 Wed 13:44>小学生高学年4人にちいかわは小学校で流行っているのか?ときいたら、ほぼ流行ってないらしい. そんなのアンパンマンみたいなもんだ、小学生舐めんなよって感じらしい.
クリプト
<2026-10-03 Sat 16:19>またラグプル食らった、40 USD. もうイジメないでほしいよ. 2週間に1度詐欺にあっていると人を信頼できなくなる. もう60万くらい盗まれてる.
🖊Journals
💭映画ちいかわで鉄分不足で赤い血の肉を食らう人間の切なさを感じた(26/09/28)
映画ちいかわを二子玉川の映画館で観てきた. 映画館は5年ぶり、鬼滅の刃以来.
世間で話題だったので気になってはいたが、9月のテーマが行動活性化療法なので、とりあえず迷っていたらスケジュールを入れてしまったというのが5年ぶりの一人ぼっちおっさんのちいかわ鑑賞の理由. うつ病の治療ならば仕方がない.
ちいかわ自体の事前知識はほぼなかったが、世間で話題だったのでYoutubeで考察動画を2時間くらいきいていてネタバレ状態で観た結果、衝撃はそこまでなかったのは残念だ. ハム太郎のノリでの初見ならばギャップに驚いていたはずだが、ハム太郎ならばわざわざ見に行かない.
中途半端な予習の結果、ちいかわとその友達2人のうち、友達2人が人魚の肉を食べて友情が泥沼化して崩壊するバッドエンドを途中まで期待していた. 実際に肉を食べたのは映画だけのオリジナルキャラクター.
セイレーンときくと、ちょうど2ヶ月前に調べものをしていたセルフバインディング、オデュッセウスの契約を思い出した. そしてクリストファー・ノーランのオデュッセウスが世界では上映中だかまさかノーランは極東の日本で同時上映のちいかわに負けるとは思わなかったはず.
具体的なわたしの感想だが、これは菜食主義の悲しさの物語と読んだ.
わたしがこの1年でもっとも心が変わった仏道修行は坐禅ではなく、毎晩食事前に唱える五観の偈だった. 生きとしいけるものが幸せでありますように、お命いただきますとしていた. また、5年前からのヴィーガン、今はなんちゃってオクト・ラボベジタリアン、外食では肉を食べる.
たまたま銭湯で生きた魚を熱々の油に放り込んでいるはしゃいでいるテレビ番組をみて、なんてグロテスクなものをお茶の間に放映しているんだろうかという感受性にこの1年でかわってしまったのは、間違いなく慈悲瞑想や食事五観の偈の影響だ. 生きとし生けるものを煮えたぎった油に放り込むとか心が苦しくなる. じゃあスーパーで見えないところでよろしく処理されていればいいのかということになる.
血液検査の結果、自分には鉄分が圧倒的に不足していることがわかった。肝臓に溜まるフェリチンは数年かけて貯蔵が少なくなっていく. ヴィーガン初期は貯蔵があるが、数年かけてジワジワと鉄がなくなっていく. その結果、謎の身体のだるさや頭の重さ.
その結果、5年ぶりに自らスーパーで赤み肉の代表であるレバーを買い、自宅で包丁で切り刻んで、赤い血でまな板を濡らした. とても苦々しい気分になった. しかし、これをしないと自分は生きていけないんだ.
「いーつまでもたえることなくー、ともだちでいよう」というマントラは、わたしは「サッベーサッタースキターホーントゥー」と読み変えた. それをBGMにして肉を切り刻み、その汁をすする切なさがある. 電池がなくなっていくように肝臓の貯蓄鉄はなくなっていく.
先週、シバナンダヨーガ教室に通った. シバナンダヨーガもラクトベジタリアンだが、鉄分不足でベジタリアン挫折の経験談を語ったら、先生も完全なベジタリアンはやったりやらなかったりで苦労している. 人類は完全なベジタリアンは可能なんだろうか?
AI時代の新しい生命またはトランスヒューマニズムの物語とも読み替えることもできる. ホモサピエンスは地球の歴史ではればカーボンベースのレガシーな生命システムであり、これからはシリコンベースの生命体の時代だ. 2025年というのは、魚が陸上日上陸したような地球史の転換点だ.
ホモサピエンスは完全シリコンベースの生命体に駆逐されるか、または融合していくだろう. ちいかわワールドはもしかしたらこれから数100年後のシリコンベースのカンブリア爆発の話しだ. 2人がシリコンベースだから悲劇になるが、みんなが人魚の肉を喰らえばいい話だ. みんなでお寿司屋でマグロを食べればハッピーエンド.
<2026-09-28 Mon 16:29>
💭自宅サーバを構築してタスクキュー式Agent自走開発ができた(26/10/02)
昨日、休眠していたVAIOを自宅サーバとして設定した. このことによってClaude Codeを使った開発がリモートでできるようになった.
半年前に挑戦はしたんだけどいったん諦めていたが、半年たってモデルの自走力が格段に上がって、とくに複雑なハーネスを構築せずともできるようになった.
shell scriptによる GitHub Issueで管理されたタスクキューによる開発が強すぎる. 自走できる粒度でIssueを作成したら、あとはよろしく自宅サーバで動くClaude Codeがトークンが尽きるまで自走し続ける.
すると人間のやることはひたすらIssueを切って天才プログラマーのタスクをキューに積むだけになる. いや、あとは受け入れ確認としての動作確認は一緒に付き合う. すると、Human In the loopは基本的に設計と動作確認の2点てあり、あとの全てはAgentが自走し続ける.
これはループエンジニアリングだ. 3ヶ月遅れだが、自宅サーバを立ててようやくキャッチアップできたかもしれない. またひとつ、新しい扉が開いてしまった気がする.
<2026-10-02 Fri 17:57>
💭人生に意味はありますか?無と意味解釈の停止目指すのが禅のキモ(26/10/03)
朝から、看話禅を調べていた.
話頭を一点に集中して噛み続け、理屈で解けない行き詰まり=大疑団を意図的に膨らませる。解釈が成立した瞬間、問いが閉じる. 答えが出ない状態の持続. 解釈は、その持続を終わらせてしまう. そこが破裂して見性に至る.
やはり近所のお寺が臨済宗であるならば、看話禅も程度知識が欲しいし実践したい. なにしろ、世間の禅やマインドフルネスと臨済宗の禅が別物のように思う. 心を空っぽにして、禅=無心・静寂・ミニマル、これは臨済宗ではない. 棒で打たれて師匠の無茶振りに耐えるのが臨済宗.
人生の意味というのは、出来事の解釈によって生まれる. 過去や未来、他者や環境とのつながりが有意味感を創り出す.
しかし、どうにも解釈できない対象に集中することで解釈機能そのものを停止するというのが看話禅の目的. 意味のないものに向き合い続ける.
人生に意味はありますか?無
これが公案になるのではないか?人生に意味はないが、それでも人間の頭はなにか意味を解釈しようとしてしまう. その解釈機能を標的にして破綻を目指すのが禅だ.
虚無との戦いに落とすならば、人生の意味という疑団を膨らませ続け、精神的な圧をかけてアイデンティティクライシスして見性に至るのが禅といえる.
人生に意味はない、または死んだときに意味が解釈されるが生きている限り意味はない. その解釈機能を停止させることが目的. これが虚無との戦い.
<2026-10-03 Sat 08:36>
💭虚無との戦いの原点はギーター、行動する魂か、非執着で観る全てか(26/10/03)
ジャン・クリストフにはバガヴァットギーターの一節が引用されていて、これがジャンクリストフ、魅せられたる魂の主題となっていることを知った.
📜快と苦、得と失、勝利と敗北を等しいものと見て、戦いに臨め。そうすれば、あなたは罪を負わない - バガヴァッド・ギーター
ギーターではここから「成功と失敗を平等に受け止める、その心の平静こそがヨーガである」と続き、カルマヨーガの本質として引用される.
ロランロランは「あなたは罪を負わない」の部分を「全力で戦え」に言い換えてしまった. ヨーガやヴェーダーンタだと平静や心の平穏に向かうが、ロマン・ロランは行動し続けることに変わっている. 平静に義務を果たして、あとは神に任せよ.
ロマンは自己とか努力とか、いわゆるベートーヴェン的な世界観を引きずっている. ガンディーやヴィヴェーカーナンダのような自己を傍観する無執着には至ってない. ここには西洋と東洋の対立があると思う.
小説なので、ロマンロランは解釈を複数用意しているのかもしれないし、ロラン自身がジャン・クリストフと魅せられたる魂で信念が変わってしまったのかもしれない.
しかし、ジャン・クリストフがバガヴァットギーターを引用して影響を受けていることを確認できたことは面白い視点だった.
<2026-10-03 Sat 14:34>