つるみわたる
📚人格改造マニュアル - 鶴見済(1996)
この本は1996年か. 2022年版の知識Updateはとてもおもしろそうだな. まず瞑想が入ってくるはず.
📜キチガイになったくらいで、いきなり人生楽勝である。- 鶴見済
Literature Notes
自殺をせずに、楽に生きるための最良の手段が人格を使い分けたり、別の人格になったりすることだ。大切なのは、変わるのを恐れることではない。変わるのに慣れることだ。誰でも脳をちょっといじれば、簡単に変われるのだ。
「世の中はずっと変わらない」と思うのもしょうがない。確かに社会が安定期に入ると、システムを維持する方向に機能がどんどん働きだし、ちょっとやそっとでは変わらない綿密なシステムが出来上がる。どうしても世界をガラリと変えたければ、方法はひとつしかない。自分が変わることだ。脳をちょっとつっついたくらいでも、世界はガラリとかわって見えたりする。地獄のように見えた日常も、意外とまんざら悪くもないことに気づくかもしれない。
主な手段
- クスリ
- 覚醒剤
- カフェイン
- 精神安定剤
- 抗うつ剤
- アルコール
- エクスタシー
- 抗不安薬
- 洗脳
- 催眠暗示法(他者催眠暗示と自己催眠暗示)
- 自己開発セミナー
- サイコセラピー
- 認知療法
- 生活スケジュール法
- 森田療法
洗脳について
洗脳には3つの段階があるといわれている。
揺さぶり
それまでの固まった人格をぐらぐらと揺さぶり、新たな考えを注入しやすくするのだ。空腹、睡眠不足、疲労、時間間隔の混乱、隔離・閉じ込め、薬物等々現実感覚を気うすにし、批判的能力を弱める方法がそのために用いられてきた。
埋め込み
そこに教団の教義や政治思想や、あるいは新たな”自己”そのものを埋め込む。より深く刻み込むためには、内容の単純さや長時間にわたる繰り返した大きな役割を果たす。このとき、「人が変わる」。
強化
新たに埋め込まれた人格をガッチリと固定・定着させ、強めていく過程だ。これがないと、せっかく出来上がった新たな人格も、しばらくすると元に戻ってしまう。
性格について
「自分は内向的だ」と思っていると、それが強い自己暗示として働く。つまりいつも「自分は内向的」と思っているということは、常にそうなるように、無意識のうちに自分に暗示をかけ続けているということになる。そして実際にそのとおりになってしまっているはずだ。しかもこの自己暗示は、めったなことでは変わらないというやっかいな性質を持っている。意識は、いつでも一貫性を持ちたがる。そうすることで安定を求めるのだ。実は、「本当の性格」なんてものはないのにもかかわらず、だ。実は、そういう信念があるだけなのである。さらにこの信念(=性格)はどんどん強くなる性質まである。いったん内向的だと思い始めると、それを立証するような経験ばかりを印象に焼き付け、そうでないものを無視するか例外的なものだと決め付けて意識の外に追いやり、その信念をますます確固たるものにしていく。つまり性格とは、長い時間をかけて重ね着してきた古い衣服の束のようなものだ。そんなものは、その気になりさえすれば、いつだって脱ぎ捨てることができるのだ。
催眠状態では信念のバリヤなどまるで働かない。普段なら「そんなはずはない」とはね返してしまう暗示も、本気でそう思えてしまう。
催眠の力で、猿にさえなってしまうのである。人格を変えることなど、お安いご用だ。
キチガイは気楽でいい。いつだって心神喪失状態だから、社会的責任はすべて免除。人を殺したってつみなんか問われやしない。
楽に生きるっていうのは、けっこう簡単なことなのだ、きっと。
感想(2006/08/05, 23:26)
僕はキチガイになりたくなってきた。町で見かけるキチガイたちはなんとすがすがしい顔をしているのだろう。他人の侮蔑的視線などお構いなしだ。彼らの心はどこまでも自由だ。何もわずらうことがない。僕は、必要以上に自分を抑圧して、その結果、生きにくくなっている。自分の首を自分で絞めている。だから、キチガイくらいでちょうどいいのだ。
僕は、洗脳されないようにしなければならない。ヘトヘトになるまで考えるのはよろしい。しかし、その状態は批判能力がなく、大変危険な状態なのだ。そういう状態で、キリスト教や仏教に走るようなことは避けたい。あくまで、理論的に納得できる自分の哲学を打ち立てるのだ。
ちなみに、僕は、自己催眠暗示、抗うつ剤、認知療法の3つを同時に試したが、性格は変わらなかった。
📚完全自殺マニュアル - 鶴見済(1993)
- 💡霊力測定装置と安楽死マシーンによる死のイノベーション
- 🔖自殺
- 💭1年半後の2025/07に世界は滅びることを前提にして2024年を生きる(23/12/31)
- 💭もし来週ハルマゲドンで死ぬと仮定しても1週間はいつも通りの生活をする(25/06/29)
Literature Notes
80年代が終わりそうなころ、「世界の終わりブーム」っているのがあった。ぼくたちは「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
だけど世界は終わらなかった。これでやっとわかった。もう「デカイ一発」はこない。
22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんかないんだから。)。世界は絶対に終わらない。ちょっと「異界」や「外部」に触ったくらいじゃ満足しない。もっと大きな刺激がほしかったら、本当に世界を終わらせたかったら、あとはもう「あのこと」をやってしまうしかないんだ。
「つまんない」なんていってもしょうがない。ぼくたちは運悪く歴史のそういうステージに生まれついてしまったんだから。22世紀までぼくたちはマイニチマイニチ朝7時に起きて、学校や会社に通って、とりとめのない無駄話を繰り返す。三島由紀夫は自伝的小説「仮面の告白」の中で、「戦争より『日常生活』のほうが恐ろしかった」って書いた。僕たちは我慢に我慢を重ねながら、この「みぶるいするほど恐ろしい日常生活」を生きていく。得体の知れない「安定した将来」をしっかりひきつけておくために。一歩一歩慎重にコースを踏み外さないように気をつけながら。
テレビのドラマみたいなハッピーエンドはない。ただグロテスクな「ハッピー」が延々と続いていくだけだ。そう。キーワードは「延々」と「繰り返し」だ。延々と続く同じことの繰り返し。これが死にたい気持ちを膨らます第一の要素だ。
ぼくたちひとりひとりが無力で、いてもいなくてもどうでもいい存在で、つまり命が軽いこと。これが死にたい気持ちを膨らます第二の要素。
こうして無力感を抱きながら延々と同じことを繰り返すぼくたちは、少しずつ少しずつ、「本当に生きている実感」を忘れていく。生きてるんだか死んでるんだか、だんだんわからなくなってくる。そう、もう死んじゃってもいい。学校や会社に行ったり、生きてるのがいやだったり、つまんなかったり、それどころか苦しかったりするなら、細い境界線を踏み越えて死んじゃえばいい。だれにもそれを止めることなんかできない。
生きてたって、どうせなにも変わらない。「将来!将来!」なんていくら力説しても無駄だ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ぶらぶら遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子供をつくって、何回か移動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これが最も安心できる理想的な人生なんだ。
こういう状況の中で、もうただ生きてることのたいした意味なんてない。自殺はとてもポジティブな行為なのだ。
感想(2006/10/01 1:32)
読んでいる途中で、めまい、吐き気がしてきて、最後まで読みきることができなかった。いや、さすがは18禁だ。と同時に、ぼくは自殺なんかまったくしたくない、いや、とんでもないことだということがわかった。ぼくが自殺を考えるのは、深刻病にすぎないのだ。もう、死にたいなんて考えるのは、やめよう。ばからしい。 1:32 2006/10/01