名言

📜我思う、ゆえに我あり - ルネ・デカルト

コギト・エルゴ・スム. 数学の📝公理を哲学に持ち込んだ.


最近の脳科学からは否定されつつあるところは面白い. 🔦認知科学や脳科学からみた自己とは特定の機能の集合体

<2024-03-13 Wed 08:22> デカルトなんて中二病だろ, わたしですら高校生の時に同じことを考えたが倫理の教科書に同じこと言ってるやつがいて先を越されたと悔しく思った.

📚方法序説 - ルネ・デカルト(1637)

落合太郎訳 岩波文庫. 🔖哲学書

方法序説は何歳のときに書かれたものだろう? おじさんの今読み返してみると, 文章が若い野心にあふれている.

🔬科学的とは、ここから始まった!

Literature Notes

私は書物による学問をまったくやめてしまった. そうして私自身のうちにか, あるいは世間という大きな書物のうちに見いだされうるであろう学問のほかは, どのような学問にしろもはや求めまいと決心し, 旅行するために, 宮廷と軍隊とを見るために, 運命の差し出す偶然の事件で己を鍛えるために, またいたるところで目の前に現れてくる物事については, そのものから何か利益を引き出せるような反省を加えるためにも, 私は残りの青年時代を用いたのであった. おのれに何の影響も与えぬ空理のために, 学者たちが書斎で操る推論においてよりは, 一つの判断を誤ればすぐにも処罰されればならぬ結果をきたすような, おのれにとって重要なことのために各人が試みる推論においてこそ, はるかに多くの真理に出会うことができようと思われたからである.


第一は, 明証的に真であると認めることなしには, いかなることをも真であるとして受け取らぬこと, すなわち, よく注意して即断と偏見を避けること, そうして, それを疑ういかなる隙もないほど, それほどまで明晰に, それほどまで判明に, 私の心に現れるもののほかは, 何物をも私の判断に取り入れぬということ.

第二は, 私の研究しようとする問題のおのおのも, できうる限り多くの, そうして, それらのものをよりよく解決するために求められる限り細かな, 小部分に分割すること.

第三は, 私の思索を順序に従って導くこと, 知るに最も単純で, 最も容易であるものからはじめて, 最も複雑なものの認識へまで少しずつ, だんだんと登りゆき, なお, それ自体としては互いになんの順序もない対象の間に順序を仮定しながら.

最後のものは, なにひとつ私が取り落とさなかったと保証されるほど, どの部分についても完全な枚挙を, 全般にわたってあますところなき再検査を, あらゆる場合に行うこと.

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第一の格率は, 神の恵みをもって私を幼い時から育ててきた宗教をつねに守りながら, またその他のすべてのことにおいては, 私がともども生きてゆかねばならぬ人々のうちの, 最も聡明な人たちが実践上では一般に承認する最も穏健な, 極端からは最も遠い意見に従って自分の舵を取りながら, 国の法律および習慣に服従してゆこうということであった.

第二の格率は, 私の平生の行動の上では私に可能である限り, どこまでも志を堅くして, 断じて迷わぬこと, そうしていかに疑わしい意見であるにせよひとたびそれと自ら決定した以上は, それがきわめて確実なものであったかのように, どこまでも忠実にそれに従うということであった.

第三の格率は, 運命に, よりはむしろ自分に打ち勝とう, 世界の秩序を, よりはむしろ自分の欲望を変えよう, と努めることであった. 一般的に言えば, 私どもの権力の府内にそっくりあるものは私どもの思想だけである. したがって, 私どもの外なるものについては最善をつくしたのち, なお私どもの成功を妨げるものがあれば, 私どもの関係上, そのものはすべて絶対的に私どもの及ばぬものであると信ずるように自分をしつけること. この格率はただこれだけで, 自分にはえらるまじきものを未来に得ようなどと, 虚しい欲望を起こさないために, つまり足ることを知れと戒めるために, 十分であると私には思われた.


私の理性を開発するために, 私が私に命じた方法に従って力の限り真理の認識へと前進するために, 全生涯を使い尽くすことにより以上に善いことをなしえないと私は考えたのであった. 私はたえず自分の計画を追及してやまなかったのだ. かくて書物を読むだけの, 学者と交わるだけのことに過ぎなかったであろうよりは, 私としてはおそらくそれ以上に真理の認識において前進してやまなかったつもりだ.


私がそんなふうに一切を虚偽であると考えようと欲する限り, そのように考えている「私」は必然的に何物かであらねばならぬことに気づいた. そうして「私は考える. それ故に私は有る」というこの真理がきわめて堅固であり, きわめて確実であって, 懐疑論者らの無法きわまる仮定をことごとく束ねてかかってもこれを揺るがすことのできないのを見て, これを私の探求しつつあった哲学の第一原理として, ためらうことなくとることができる, と私は判断した.