👧ハンナ・アヌレントず䞍倫. 立掟なこずいっおも瀟䌚の窓開いおるんですけど.

💀先駆的決意性

どうせ死ぬのならば、死を賭しお、呜を賭けるこずに、なんの問題があろうか

人間珟存圚が自身の避けるこずのできない死ずいう有限性を、未来ぞず先取りしお盎芖し、その自芚から本来的な自己ぞず立ち返り、自分にふさわしい生き方を䞻䜓的に掎み取ろうずする態床

【カオスこそナヌトピア】人間を芚醒させる唯䞀の生き方宮台真叞 × 海沌光城 - YouTube

<2025-08-28 Thu 19:38> ここにノェヌダヌンタ的な思想を感じた. ひず぀に戻る、ならば戊う. 📚魅せられたる魂 - ロマン・ロラン

📜囚人のゞレンマで盞手を裏切るのではなくたずえ非合理でも委ねるこずが人間の歊噚 - 宮台真叞

📚ハむデガヌ=存圚神秘の哲孊 叀東哲明

叀東哲明, 講談瀟珟代新曞.

ほずんど内容を忘れたが, 📝䞖界劇堎論け今になっおも気になる.


すべおのペヌゞが、充実しおいる。これは、結構凄い本だ。どうしよう。買おうかな・・・。2007幎4月20日

Literature Notes

存圚は、ずほうもなくうたい。至高の味がする。極䞊のワむンの癟兆倍。この䞖のものずは思えないほどだ。極床にありえないこずがありえおいる。そんな銙味さえただよう。それを䞀瞬でも味わえば、あらゆる悩みが消えおしたうほどだ。

生の事実性。だから、死んでいるのではなく、あくたで珟にこの䞖に生きおあるこずそのこず。そんな生や䞖界の存圚に、ありありずでくわす。そしおあらためお驚く。「驚異䞭の驚異、぀たり存圚者が《圚るこずそのこず》を経隓する」なにごずも、倱っおはじめおわかるのだ。死が倱うものは生、そしおこの䞖の存圚。気づいた圓人にずっおは、ずんでもない悊びがはじけずぶ䜓隓だ。存圚忘华の根本䜓隓ずいわれおいる。存圚神秘ずは、この䞖の存圚の法倖な凄さ倩囜性志向性に撃たれる䜓隓。「神の死」ニヒリズムのずきには、䞍安や吐き気の察象でしかなかったこの䞖この生。その存圚の事実が、気づいおみればあたりにも凄い。あたりに凄すぎ<この䞖ならぬ>ほどの驚嘆をひきおこす。この䞖ならざる䜕か超絶的な説明原理神のようなものでも想定しないず、おさたりが぀かない。それほどこの生を、あるいはこうしいお生きるこずそのこずを、神々しく思うずいうこずである。

最初に眮かれる神いわゆる創造神。この䞖ずいう被造物を䜜り出した起源ずしお想定された神。キリスト教䌝来の神も、諞神話の神々も、おおむねそうだ。こうした起源神を最初に眮けば、もう悩みは起こらない。埌は以䞋にそれにあわせおこの䞖を生きたらよいのか。そんなハりツヌ的事埌問題匏を解くばかり。途䞭で求められる神病気。生掻苊。存圚䞍安。愛しいものずの氞蚣。さたざたな苊しみががくたち人間を襲う。぀らい時だ。その激しい苊しみや䞍安に耐えかね、぀い求められおしたう神。それがこの途䞭神。救枈神ずか救䞖䞻。最終最埌の神それたでの神は、存圚䞍安やこの䞖の存圚のわからなさを<解消>する神。苊しみを緩和したり、なぞや疑念をなくしたりするために持ち出される䞀皮の護摩だ。薬。麻薬である。その意味で、創造神も途䞭神もずおも圹に立぀。おかげで、この䞖この生は吊定されたたた。どこたでもニヒリズムを隠蔜しお成り立぀<生掻の知恵>にすぎない。だが、最埌の神は違う。存圚が神、神ずみたごうほど神々しい、ずいうこずである。存圚神秘の䜓隓が、はじめお最埌になっお、神なんおものを<存圚>させるにいたるずいうこずである。こんな凄い存圚を可胜にしたなにかずしお、神なるものを想定しおも䞍自然ではないほどの感興に包たれるずいう意味である。「存圚の真実からはじめお、聖なるものの本質を考えるこずができる。生なるものの本質から始めお、神性の本質を考えるこずができる。神性の本質の光り茝く䞭で初めお、《神》ずいう蚀葉がなにを蚀っおいるのかを考え蚀うこずができる。」繰り返すが、順序が倧切だ。

神の死ここで死ぬ神ずは、創造神や途䞭神、あるいは超越的な究極原理のこずである。存圚䞍安・存圚吊定擬死の極臎存圚神秘・存圚肯定最埌の神《神の死》を真剣に匕き受けお、さたよい、惑い、苊しみ、死ぬほどの砎局の果おに、たるで思いもしなかった《別の神》を䜓隓する。それは、最埌に神さえ想うほど、深く真正面から、存圚の真理存圚神秘に撃たれたこずの別衚珟。そしおそれだけのこず。

䞖界劇堎論

「䞖界は劇堎、人生は挔劇、人間は圹者」シェむクスピア。そう思いきり、この䞖この生を、䞀幕の舞台劇ず芋立おる䞖界芳。それが䞖界劇堎論である。䞖界ず生のリアリティ真実性を透芖する、西掋叀来のの解釈装眮、ものの芋方、考え方である。それは、それたで倢䞭で熱挔し没頭しおいた珟䞖の悲喜劇を、芳客垭のように堎倖に立っお突き攟しおみる工倫。぀たり、存圚神秘に撃たれるこずですべお吹っ切れ、再び人生劇に埩垰し、今床は、目芚めながら生きなおす道である。圹者の立ち振る舞いを觊媒に、「なんにもない空間」ブルックに突然、濃密な意味ず情動の空間ずしおの挔劇䞖界が浮かび䞊がっおくる。たるで「無からの創造」。がくたち芳客も、もはや絵空事ずは思えない感動空間挔劇䞖界にすっぜりず぀぀たれおしたう。しかもそれはじ぀に動的。圹者の䞀挙手䞀投足に、あるいは照明の光圩や音楜の錓動に埮现に呌応しながら、刻䞀刻、そのすがたをかえる。挔劇は、たさに劇的に流動する耇雑な運動䜓。たずいえるこずは、生ず䞖界の密接な結び぀きである。がくたち人間が生きる生の珟堎にはかならず、ある䞀定の「䞖界」が぀むぎだされおくる。重局的で可動的で濃密な、意味ず情動のネットワヌクずしおの「䞖界」が分泌されおくる。぀たり、生ず䞖界ずは、分離䞍可胜な仕方で錯合しあっおいる。䞖界は生に䟝拠し、生ずの深い盞関性の䞭で初めお成立する。たず䞖界なるものがあっお、そのあずに人間の生がはいりこんでくるのではない。䞖界を生み出すのは、がくたち人間の生。人間の生抜きの䞖界などない。逆に、無䞖界的な生もありえない。生ず䞖界は䞀䜓二重的に生起する。独我論的方向で誀解しおはならない。がくたち人間の生は、䞖界の包たれ、その統制䞋におかれおいる。それは、圹者が、みずから぀むぎだしおいるはずの挔劇䞖界にすっぜり包たれ、そこに没入し、さらにその䞖界に逆に芏定されおはじめお生きた舞台が進行するのず、同じこずだ。生は、自ら分泌する䞖界に逆芏定され、䞖界䟝存的であるこずで、生たりうる。挔劇䞖界が䜕か物質的事柄ではなく、重局的に織り䞊げられた䞍可芖の意味ず情動の空間であるこずを考えれば、「䞖界」の本質的な性栌䞖界性が、意矩連関ずされた理由も、ご理解いただけよう。だからずいっお、䞖界は個人的なものなのではなく、同時にすでに最初から、共同䞖界的な成り立ちをしおいる。倧小の舞台装眮、圹柄、堎面、シナリオが耇雑に絡み合う生掻コンテキスト䞖界性が刻䞀刻圢成され、その䞍可芖のコンテキストに倚面的重局的にに織り蟌たれるようにしお初めお、がくたち個人の生存掻動が、実珟されおいく。䞖界は同時に共同䞖界なのだ。堎面、堎面でどう挔じたらいいのか、その圹者の䞀挙手䞀投足が可胜になるのは、あたりたえのこずであるが、たずはすでにある特定の舞台劇に出挔しおしたっおいるからであり、その堎に出来䞊がっおいる筋立おや雰囲気に暗黙裡に入り蟌み、䞀䜓化できおいるからだ。぀たり、挔劇内䞖界にすっかり没頭し、「はたっおいる」からである。これが被投性であり、そこにピタッずはたっお没頭し<眠る>偎面が耜萜ずいう。がくたちはふだん、この䞖の人生舞台にすっかり思いを吞い取られ、倢䞭になり没頭しお生きる姿を、うたくずらえおいる。がくたちは、圹者同様の二重分裂構造ず自己消去構造を生きおいる。むしろ生きざるをえない仕組みになっおいる。このしくみ、珟代思想の文脈では「挔劇䜓制論」゚ノレむノフずか「圹割存圚論」ゎフマンずしお、よくしられたこずである。その際、挔じおいる圹柄䞊の自分ず、挔じおいる自分は別物だ。ハむデガヌは、生身の圹者レベルの自己を本来的自己ず名づけ、圹割䞊の自分をダス・マン自己ずなづけた。だが通垞がくたちは、あたりにも賢明に、䞎えられた圹柄や立堎を生きおしたう。生身の自分のこずなど忘れ、ひたすら圹柄になりきっおいる。「䞖界」に倢䞭なのだ。そのうち、挔じおいる自分自身など、忘れおしたう。むしろ自己忘华こそ、毎日を、生き生きずスムヌズに生きるための前提。そのうち、圹柄を自分自身ず取り違える。懞呜にこの䞖を生き、だからこの䞖に没頭し、だからこの䞖での圹柄ず同䞀芖しおしたう。これが、耜萜だ。耜萜は生きがいに満ち、掻気ある人生を送るために、ぜひ䞍可欠な芁玠だ。

䞍安の正䜓ずは、この自己分裂構造である。この䞖に生きおいるこず。それは二重性の䞭で生きるこずだから、構造的に䞍安定だ。だから静かに䞍安だ。ズレを生きるのだから、いやでもそうなる。自分ではない自分ダス・マンず自分自身ずが統合され、均等を保っおいるうちはいい。だが、限床がある。たさに、自己分裂症に陥るわけだ。普段は、通奏䜎音のように、かすかに響くばかりである。その地底に響く根本気分䞍安が、突劂噎出すずきがある。スムヌズに流れおいた舞台劇が停留したり、砎綻するずきである。慣れ芪しんでいた自明な舞台劇党䜓が、なんだか嘘っぜく、実は居心地の悪い堎所ず化す。共挔者たちも、そこに貫通しおいたシナリオ思想・芏範・道埳もすべおが、その慣れ芪しんだ衚情を剥萜させ、䞍気味な盞貌で抌し迫っお来る。離婚を決意した日の家庭劇のように。それは、倢ねむりからさめただけだ。舞台䞊で悊に入っおいるダス・マン自己にたいし、本来の自己が「それはわたしではない」ずいう自己疎倖の声を、静かに䞊げおいるこずの別衚珟である。懞呜に生きおきた熱挔舞台ぞの没頭状態耜萜から、フヌッず芚めるのである。そんな䞍安が明確に蚪れるのは、やはり死を痛感するずきだ。この䞖ずいう舞台も幕を䞋ろす。その終幕を実感するそのずき。䞍安=自由は最高朮に達する。

ハむデガヌの死の思想は、最期生の末端の死去のずきが、実はどの瞬間にも圓おはたる様匏だず芋抜くずころにある。

「死は、珟存圚生においおただ未枈ななにかのこずではない。死は、珟存圚生が珟存圚であるかぎり、その存圚の䞭で差し迫るもの、しかもたえず差し迫っおいるもの」「死ぞの存圚」ずは、日垞性。たさに「死の瞬間が生呜の暙準時」ずいうわけだ。

動画である䞊映䞭の画面は、映し出された端から消倱し、消倱しながら同時に珟出しおいるはずだ。同様に、死が生で、その生が死ずなり、その死においお生がはじたる・・・。そんな生初発ず死終滅ずの奇劙なパラドックス構造、あるいは同時進行。だからもはや、終わりず初め、死ず生ずいった思いなれた二分法では割り切れない、䞡項の奇劙な回互運動の䞭で刻䞀刻、画面が生起しおきおいるのだ。毎瞬毎瞬が終わっおいく動性ず、始たっおゆく動性。この仏なら互いに矛盟しあうにこうの同時進行珟象ずしお生起しおいるこずを、うっすらず感じ取れるのではこの二぀の動性があいより、しのぎあう、匵り぀めた䞀点に、刻䞀刻の生の瞬間が成立しおいるはずだ。「死ずは、人生の経過の぀ながりがパチンず途䞭で途切れるこず」「死は生の珟象である」「死は、珟存圚が存圚するやいなや匕き受けおいる圚り方なのである。」

時ずは、䞀瞬の運動生起。そしお、はかない刻䞀刻の時が、珟存圚の党貌ずいうわけだ。死しお消倱しおゆく将来的動性は、しかし同時に、次の瞬間を取り戻し創出させ、死なずに「圚った」ずいう既圚的動性ぞ倉成し、その結果、刻䞀刻の珟圚ぞ芋開かれおいくこずに、連なる。この䞉぀の動性将来性・既圚性・珟圚性が、䞉䜍䞀䜓的に䜜り出す䞀瞬の生起、それが時だ。消えおなくなろうずしおいるはずなのに、その将来的な動性ずしおの「死の可胜性のほうから、立ち戻っお《生誕するこず》」が結果ずし、存圚しおしたっおいる。「事実的な珟存圚は生誕するずいう仕方で実存しおいるが、しかしたた、死ぞの存圚ずいう意味では、生誕し぀぀も死んでいるのである。」この将来的動性死ぞの存圚ず既圚的動性生誕ぞの存圚ずが同時進行するその、もはや䞀瞬の間隔すらない<間>に、今ここの珟圚のずきが、刻䞀刻、実っおいく。それはもはや静止画像のような「停止珟圚」ではない。䞀方で死ぞ、他方で生誕ぞ向かう、ある匵り぀めた力動珟象。打ち寄せる波の波圢が、実は空ず海ずの間の実䜓なき境界線でしかないように、珟圚もたた、固定的実䜓ではない。そしお、このはかない䞀瞬のずきを刻んで生きるがくたち珟存圚のあり方。これが刻時性ずいうのだ。

前駆ず埌駆が合わさっお初めお時生ずいう車茪が動く。刻䞀刻の死ぞの動性前駆。その぀もりで前駆する車茪生なのだがしかし同時に、埌駆し、今この䞀瞬の生ぞ立ち戻っおしたっおいく。これが既圚性の動性。そのこずに気づいお、自芚的に生の車茪を駆動させおいくこずが「本来的刻時性」であり、そのこずに気づかず生の車茪を生きおいる姿勢が「非本来的刻時性」である。がくたちは、車茪時の痕跡を、車茪そのものず取り違えおいる。しかし、それは錯芚だ。リアルな時をすっかり忘れ、時が残しおいく線状の痕跡蜍・足跡を時だず勘違いしおいるのだ。

音は珟れおは消え、消えおは珟れる。むしろ消えながら珟れる。「音楜は、音をどうならすかではなく、どう消すかの工倫である歊満培」いずれにしろ、珟出かそれずも消倱かの二者択䞀しか認めない、がくたちにはなじみの二分法思考を軜々ず突き砎っお、もはや䞡者が同時進行するずしか蚀いようのない緊密さで、音は経隓されおくるはずだ。音は圚るのに無い。たるで時の構造ずいっしょだ。森矅䞇象は、死ず再生ずの、盞互矛盟的な同時同䞀性の䞭に生起する。ニヌチェも蚀うように、「あらゆる事物には同時に、消滅ず生成ずいう二぀の顔がある」がくたちは、毎瞬死んで、毎瞬に生たれ盎しおいる。消滅死滅が同時にその出珟生誕ずいうわけだ。ハむデガヌは、「存圚ず無は同䞀」「圚ず非圚ずの根源的な回互性」「滅びの䞭の生成」ずいっおいる。

「存圚ず無ずは同䞀」ずいうずき、厳密には、次の䞉぀が同時に瀺されおいる。

存圚の非―存圚者性存圚は存圚しない存圚するものたずえば神の存圚を仮定したずする。「存圚は存圚する」。するず、存圚は圚るもの存圚者ずいうこずになる。ずするずさらに、その「圚るものである存圚」はどうなるか。これも初めの前提より、圚るこずになる。぀たり、「圚るものである存圚」は存圚する。だがそうなるず、さらにその存圚、さらにさらに・・・ず、぀たり「圚るが圚るが圚るが圚るが・・・・」ずなる。この連鎖に限りはないから、議論は無限にさかのがり、無限退行の誀謬に陥っおしたう。よっお、背理法によっお、「存圚が存圚する」ずしたのが誀りであった。぀たり、存圚は無にほかならないのだ。存圚には、二者択䞀の論理は通甚しない。あえお蚀えば、存圚は、無ず化す、隠れるずいう仕方でしか<珟れ>ない。たるで空気。たるで倜。存圚は説明化や存圚者化を越えた秘密ずしおしか生起しない。だから、䞇物はそもそも、人間偎の自然な意味づけ・説明欲・合理化・生掻感情を、暪暎に螏みにじるずいう仕方でしか、存圚しえない。存圚の無底性存圚は底なしだから底

存圚の非圚化存圚は念念起滅そのこず

他埋的な䞊犏構造

この䞖この生それ自䜓の自埋的内圚的意味や䟡倀や目的や理由を説明しおはいない。い぀かどこかに仮想された「最高䟡倀」から、他埋的に、䟡倀や目的や理由を授䞎する方匏。

だから圓然、垌望が叶えば、浄犏はきえる。それを防ぐために、曎なる垌望を䜜り出す。高校では倧孊入孊を、倧孊では就職、家庭ずいう垌望を぀くり、それを求めお競い合う。そうやっお、芋づる匏の他埋的浄犏論を連続させ、やがお死ぬ。

それが虚構の幞せだずしおも、それを求めお努力するこずは幞せだ。しかし、いったん手に入るず、それが埒な垌望であるこずがわかり、極床の意気喪倱ず絶望感が襲うのだが、それゆえさらに激しく、新しい垌望を打ちたお、それに邁進しおゆく。