date: 2008年10月21日13:51

マリネッティの「未来派宣言」に倣って声高に放送禁止落語宣言を叫んでみよう。防ぎようもない火事のように暴力的なこの宣言は、社会の古臭い落語のイメージ、古典原理主義者、きったねぇ落語通のジジイ、落語ガイド・・・無数の墓場のような博物館からの解放なのだ。

一、エロこそ人間の原動力!

落語は昔はエロかった。それが、明治の御世ともなって神国がはじまり、戦争が始まり、エロは兵隊の士気にさわる、軟弱であるというので、徹底的に弾圧され、葬り去られたのだ。しかしながら、エロこそ人間の欲望の頂点に君臨しかつ、輝ける原動力なのだ。今こそ、エロの復活を声高に叫ぶべきである。

一、平穏無事な落語なんてまっぴらゴメン!

芸術は常に革命であった。いったいうまくいくかもわからない実験、無謀な挑戦、ヒドいと罵倒され、挫折してゆくその淘汰の中から、新たな道が生まれるのである。熱に浮かれるまま、眠らず、死に物狂いで攻撃に走るのだ!

一、放送禁止用語こそ落語の生命だ!

放送禁止用語は、社会にとって刺激が強すぎるがゆえに隠蔽され、それがさらなる刺激を増す。反社会性、非常識の肯定が生命である落語にとって、放送禁止用語は最強兵器。下品、俗悪は大いに賞賛すべし!恥ずかしい人は、おうちに帰ればあ?

一、シュールレアリスムは痙攣的快楽だ!

意味不明のどこが悪い?談志も言ってるじゃないか、「落語はイリュージョン」。夢をおならで踏んづけるのだ。知性を蹴飛ばせ!無意味を肯定せよ!シュールな世界こそが真実。夢と現実が、いつか一種の絶対的現実へと解消される日を信じよう。

一、キチガイ、ヘンタイ、大いに結構!

理性も知性もかなぐり捨てた狂気は、欲望の解放状態。人間性の発露。「業の肯定」。そして、その行為は論理を超え、生理に訴える。常識的な秩序の撹乱、日常性の破壊。文明と理性に対する、夢想と不合理の夜の反撃を開始するのだ!

一、イッちゃうことは、宗教的法悦である!

イッちゃった人にはもはや、まともな常識や羞恥心、他者の存在は通じない。となると、イッちゃうとは一種の絶対的状態、悟りなのだ。快楽のエクスタシーが聴衆を驚愕させる。しかし、これぞ落語の、否、舞台芸術の醍醐味と言わずして何とする?

一、生々しい心の吐露は、溢れる涙より美しい!

文楽、円生、小さん・・・ありあまる名演のCDが市場に出回ってるこの時勢に、いくら落研がうまい落語をしたって、社会のクズだ。退屈で死んでしまう!みんな、オレの青春の叫びを聴いてくれ!演者が人物とかぶるのは野暮だという奴こそが、野暮の骨頂です。

一、暗くて死にそうな落語が最高!

落語が明るいなんて、だれが決めた?笑いを許さない、救いようもない落語だってあるのだ。人の不幸こそが愉快である。人間は、他人の悲惨さを確認して安心感を得るのだ。しかし、暗い落語は明るさにおいても、グロテスクなまでに開放的となる。

一、スピード狂を賛美せよ!

なにをしゃべっているか解らないほどの速いテンポも価値がある。憎まれ、顰蹙を買っても負けずに走り続ける、それが男のロマンなのさ。暴走する自動車は夜空の星よりも美しい。落語は耳で聞くんじゃない、心で聴くんだ!

⚫放送禁止落語大会

🦊放送禁止落語宣言のイデオロギーに基づく落語会を大学3年生のときの学園祭でやった.

👨ゴスケ先輩に宮戸川で大トリを取ってもらった.

なにも知らないカップルが入ってきてドン引きして帰っていった.

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