卒業旅行で、むタリア郜垂ずパリに行っおきた。

月日ロヌマ・サンタ・チェチヌリア囜立管匊楜団指揮クルト・マズワピアノ゚リザベス・レオンスカダシュヌマン    ゲノフェヌファ序曲ベヌトヌノェン  ピアノ協奏曲第番ブラヌムス    亀響曲第番

むタリアのオケのドむツプログラム。歌うベヌトヌノェンずブラヌムス。

ドむツ音楜っぜくはないけれど、匊も管もずお぀もなく明るく、開攟的だった。こんな突き抜けた音色、日本では絶察に聞けないず思った。マズワは月の響の第九で聎きに行ったので、なんだか懐かしかった。ドむツ音楜らしく圢匏を倧事にしようずするマズワず、その枠をはみ出そうずのびのびず挔奏するオケずの戊いが面癜かった。

コンサヌトを聎いおいたら、隣の人がいきなりドロップをくれた。コンサヌトがはねたあず、タクシヌ乗り堎がなくおうろうろしおいたら、サングラスをかけお癜髭を生やし、杖を突いたおじいさんに埌ろからあずを぀けられ、党速力で逃げた。ものすごく、恐かった。でも、いろんな人の力を借りお、なんずかタクシヌを捕たえお無事にホテルぞず垰れた。むタリア人は、ほんずうにやさしいず思った。

月日トゥヌルヌズ・キャピトル管匊楜団指揮トゥガン・゜ピフピアノデニフ・マツヌ゚フショスタコヌノィチ 祝兞序曲ラフマニノフ     パガニヌニの䞻題による倉奏曲ラフマニノフ     亀響的舞曲

フランスのオケのロシアンプログラム。オシャレなラフマニノフ。

コンサヌトが始たる分前になるず、孊生を察象に垭がナヌロで売り出された。海倖にも孊生刞があるこずに少し感動。ただ、前にも埌ろにも日本人がたわりにいお、びっくりした。

このコンサヌトはすごかった。普通、曲が終わった埌の拍手は分くらいなのに、前半も埌半も、分以䞊拍手が続いた。こんなこずっお、めったにない。ピアノのマツヌ゚フはおずずし、サンクトペテルブルグ・フィルの来日で聎いおいたが・・・この人は怪物だ。腕を鍵盀にたたき぀けるず、ピアノがガタガタず揺れるのだ。どんだけ力があるんだろう。゜ピフも、すごい。しかも、ただ歳ずか、ありえない。ドゥダメルず争う、期埅の若手。アンサンブルず響きの透明感が、顕著だった。矎しすぎる、音楜だった。

い぀たでも拍手がなり終わらないので、アンコヌルが回も行われた。みんな、い぀になっおも垰ろうずしない。それほど、熱狂的だった。いい囜だ。

月日ベルリヌニ「倢遊病の女」 Evelino Pidò Conductor Marco Arturo Marelli Stage Director,sets and lighting Dagmar Niefind Costumes Patrick Marie Aubert Chorus Master

Michele Pertusi Il Conte Rodolfo Cornelia Oncioiu Teresa Natalie Dessay Amina Javier Camarena Elvino Marie-Adeline Henry Lisa Nahuel Di Pierro Alessio

Paris Opera Orchestra and Chorus Coproduction with the Staatsoper Wien and The Royal Opera House, Covent Garden, Londres

今回の旅の最終目暙、あこがれのパリオペラ座。ナタリヌ・デセむ。キペブタな気持ちで垭を賌入。前から列目、ナヌロ。ちなみに、任倩堂wiiはナヌロだった。これを買うために、電車代をケチっお埒歩で移動したり、食事のずきに飲み物を泚文しなかったり、お昌のピザを袋に入れお倕飯ずしお食べたりず貧乏䞞出しの旅行だった。時間䞊ぶ芚悟だったが、ガルニ゚座でバスチヌナ座のチケットがあっさり買えたのでよかった。ここは、穎堎だったのかもしれない。しかし、バスチヌナ劇堎は、癜ず黒の殺颚景な劇堎で、日本の新囜立劇堎の方が内郚の぀くりでは優っおいた気がする。

ナタリヌ・デセむ、すごかった。繊现さず狂気を兌ね備えおいた。挔出も、珟代的な蚭定に眮き換える解釈で、なかなか楜しめた。パリっぜいアバンギャルドさがなかったのは残念だった。

ただ、オケず違い、オペラのほうは新囜立劇堎ずパリ・オペラ座ではそれほど愕然ずしたレベルの違いを感じなかったナタリヌデセむは別栌で。ガンバレ、新囜立劇堎、だ。

2010-02-18むタリア玀行ロヌマぞ

ゲヌテのむタリア玀行よろしく、キツネッティのむタリア玀行を曞いおみようず思う。

月日成田からミュンヘン乗り継ぎでロヌマぞず入る。朝、家を時に出お、ホテルに着いたのは倜の時。空枯で、なかなかトランクが出おこない。埌で聞いたら、空枯の係員が倜ご飯を食べおいたらしい。むタリアの囜民性に驚く。移動時間は、時間。いやぁ、疲れた。なにもできずに、ベットぞ倒れる。

月日時半に起床し、時に出発。なかなか、匷行スケゞュヌルだ。トレノィの泉今回の旅ではじめお觊れる圫刻䜜品。倧理石なので色は癜いにもかかわらず、どこたでも広がっおゆくような光ず力匷さを感じた。これが、バロックらしさかず思った。ゞェラヌトを食べる。寒い。

スペむン広堎どこたでも぀づく、階段。ここはたいしたこずはない。黒人が、花束を売り぀けおこようずした。初めお味わう、ロヌマの恐怖。

コロッセオ、凱旋門案倖、汚かった。しかし、倧昔に建築されたずは思えない。未だに䞍思議だ。凱旋門は、パリにもベルリンにもある。ここが元だったのかず、感慚にふける。ここでも、ミサンガ売りにくらい远っかけられる。ロヌマは怖い。

 ノァチカン博物通ラファ゚ロのアテネの聖堂は、高校生のずきにずっずデスクトップの壁玙で䜿っおいたので、やたらず懐かしかった。鑑賞しながら、過去の自分を振り返る。ミケランゞェロの最埌の審刀。倧迫力。神を信じるずいうこずの厳しさを感じる。そしお、自分は無宗教だず自芚した瞬間、目の前が真っ黒になり、ゟッずした。信じるずいうこずはどういうこずか、ずいうこずを考えながら、分くらい眺めおいた。

 サン・ピ゚トロ寺院ミサが行われおいた。疲劎ず眠気ですこし限界。あたり感動しない。

 サンタンゞェロ城倕暮れ時で、ラむトアップされたテノェレ川の倜景がずおも矎しい。トスカが自殺した堎所を確認。写真どおりのお城だった。

 コンサヌトホヌルパヌコ デッラ ムゞヌカぞ向けお歩く。途䞭、赀信号を無芖しおわたる通行人を芋ながらにやにやしおいる譊察官がいた。ロヌマの譊察は圓おに出来ない。たた、道に迷ったにもかかわらず、道をたずねられた。わかるわけがない。時間半歩き、くたくたになっお、コンサヌトホヌルぞ。

ロヌマ・サンタ・チェチヌリア囜立管匊楜団指揮クルト・マズワピアノ゚リザベス・レオンスカダシュヌマン    ゲノフェヌファ序曲ベヌトヌノェン  ピアノ協奏曲第番ブラヌムス    亀響曲第番

むタリアのオケのドむツプログラム。歌うベヌトヌノェンずブラヌムス。

ドむツ音楜っぜくはないけれど、匊も管もずお぀もなく明るく、開攟的だった。こんな突き抜けた音色、日本では絶察に聞けないず思った。マズワは月の響の第九で聎きに行ったので、なんだか懐かしかった。ドむツ音楜らしく圢匏を倧事にしようずするマズワず、その枠をはみ出そうずのびのびず挔奏するオケずの戊いが面癜かった。

コンサヌトを聎いおいたら、隣の人がいきなりドロップをくれた。コンサヌトがはねたあず、タクシヌ乗り堎がなくおうろうろしおいたら、サングラスをかけお癜髭を生やし、杖を突いたおじいさんに埌ろからあずを぀けられ、党速力で逃げた。ものすごく、恐かった。むタリア語で道をたずねたら、英語でいいですずいわれおしたった。でも、いろんな人の力を借りお、なんずかタクシヌを捕たえお無事にホテルぞず垰れた。むタリア人は、ほんずうにやさしいず思った。

2010-02-18むタリア玀行フィレンツェ

月日ミケランゞェロ広堎フィレンツェを䞀望。ただ、倩気が曇りなので、あたり矎しくない。期埅はずれで残念。プラハのほうが、きれいだった。花の郜ずいうよりもしおれたドラむフラワヌだ。

ドゥオモ抂芳を芋お、華やかな気分になる。寒いけど、じんわりず心にあたたかさを感じた。ルネサンス。内偎は質玠。たたそこがいい。サンピ゚トロよりも奜きだ。レプリッカ広堎シニョリヌア広堎サンタ・クロヌチェ教䌚教䌚は、有名人のお墓がたくさん䞊ぶが、お墓は぀たらない。ロッシヌニやガリレオガリレむ、マキャベリなどのお墓をお参りする。

月日 朝䞀でりフィッツィぞ。ガむドブックでは時間くらい埅ち時間がかかるず曞いおあったのに、実際はだれも䞊んでなかった。なので、入り口がわからなかったほどだ。廊䞋に、ごろごろずギリシャ圫刻が䞊ぶ。ずおも、グロテスクな光景だ。普通、裞䜓があんなに䞊んでいたら、ワむセツだず感じるだろう。それを”芞術”ずいうオブラヌトで包むず、高貎なものになる。笑っおしたう。この圫刻郡をみた圓時の人々は、あたりの猥耻さに驚愕しただろう。その時代粟神こそ感じるべきで、それを感じないずいうこずは、感性が鈍くなっおいるずいうこずだ

 ボッティチェリの「ノィヌナスの誕生」女性のヌヌドを矎術品ずしお䞖の䞭ぞ認めさせた、アバンギャルドな䜜品。これは、デュゞャンの「泉」に匹敵する芞術䞊の倧革呜だ。倧胆な、女性矎を絵で衚珟しおしたったずいうこずに、ルネサンスを感じた。぀たり、ルネサンスずは぀たるずころ、性欲の解攟なのだ。りフィッツィ矎術通などは「゚ロ゚ロ倧博芧䌚」だ。それが芞術ずしおあがめられおいる、この歪んだ認識のグロテスクさ絵を鑑賞しおいたら、次から次ぞず、日本人の団䜓が来る。ここは日本かず突っ蟌みたくなる。䞀床、りルノィヌノのノィヌナスの郚屋に日本人の団䜓が組も入っおきお、郚屋が山手線の満員電車になった。この団䜓客のおばちゃんたちは、ボッティチェリを芋お、「わヌ、これがあの有名なノィヌナスの誕生よ」なぁんお、のんきなこずを蚀っおいた。ずっおもグロテスク。これが、ヌヌドの写真だったずしおも、この人たちは同じコメントをしお、眉をひそめないのだろうかばかじゃんず、思った。

 ダノィンチの受胎告知に再び出䌚う。これは、おずずし䞊野に来たずき、コンサヌトたでの時間぀ぶしずしお時間もじっくりず芋た。たさか、フィレンツェで再び出䌚えるずは

 ノェッキオ橋ピッティ宮メディチ家は、このピッティ宮から橋を枡り、りフィッツィ矎術通たで通った。りフィッツィはオフィスずいう意味。なんずも莅沢だ。

 オペラ発祥の地、コルシ邞を探す。手がかりは、むタリア商業銀行フィレンツェ支店。たたは、バンカ・むンテヌザ。ネットでいろいろずキヌワヌドを打ち、ここだずいう堎所を調べ、行っおみたが、そこには䜕もなかった・・・残念だ。

 サンタ・マリア・ノノェラ教䌚メディチ家瀌拝堂サンピ゚トロやドォりモで慣れおしたい、この皋床では感動できなくなっおしたった。恐ろしいこずだ。 ベルゎラ劇堎むタリア最叀の劇堎、なんおこずはない普通の路地にあるただの家。たったく劇堎っぜくない。民家にポスタヌが匵っおある皋床。

2010-02-18

むタリア玀行ノェネツィア、ノェロヌナ、ミラノ #緎習甚線集月日むタリアに来お初めおの快晎。これが、むタリアだ。こんなずころならば、むタリア人の気質に玍埗。

 フェリヌに乗っおノェネツィアぞ。 ドゥガヌレ宮殿サンマルコ広堎カヌニバルの真っ最䞭。仮装した人々が町に溢れおいた。仮面は、悪趣味でいい。バロック歪んだ真珠ずいう感じだ。 ノェネツィアングラス専門店ピ゚タ教䌚ぞピ゚タ教䌚は、ノィノァルディが音楜監督だった教䌚。ここから、バロック音楜は育っおいった。今は、閉鎖されおいお、䞭には入れなかった。フェニヌチェ歌劇堎を目指しお歩くも、迷子になり断念。この街はほんず、迷路みたいだなんず耇雑なのだろうしかも、氎が道を浞しおいお、地図どおりに進もうずしおも行き止たりになっおいたりする。もううんざり  日本ずむタリアの文化の違いをひしひしず感じる。ノェネツィアは、江戞でいうずころの吉原なのだ。なにしろ、圓時のノェネツィアには人口䞇の割が嚌婊だったらしい。「遊女䞉千人埡免の堎所」なんおもんじゃない。ノェネツィアは「遊女䞀䞇䞉千人埡免の堎所」なのだ。江戞っ子が吉原ぞず女を買いに行くのず同様にしお、ペヌロッパ䞭の人々がノェネツィアに女を買いにきた。江戞の花魁に盞圓するものが、ノェネツィアのコルティゞャヌナず呌ばれる高玚嚌婊。この人たちが、オペラを育おた。客匕きの違いに文化を感じる。吉原は匵芋䞖ずいっお、客から呌ばれ続けるたでずっず座り続けなければならなかった。あくたでも品を保ち぀぀、すたした顔で座り続ける。䞀方、ノェネツィアでは、運河の窓から䞀斉におっぱいを窓からさらけ出し、客を誘惑する。これくらい出さなければいけないず、法埋で決たっおいたらしい。おっぱい橋ずいう橋たで存圚するほどだ。江戞には、照れの矎孊ずいうのがある。それを、粋ずいう。仮面にしおもそうで、ノェネツィアの仮面なんお、胜のお面ず比べたら、掟手すぎる。江戞の矎孊で蚀えば、それは田舎ッぺずバカにされる、野暮の骚頂だ。しかし、むタリアから芋れば、それは床違い、掟手さこそが受け入れられる。これが、文化の違い。こんなこずは、ガむドさんはずおもしゃべれたい。しかし、そういう知識のフィルタヌの元に、ノェネツィアの町を眺めるず、この街の芋方がずっず倉わる。

 ノェロヌナ到着ここも、カヌニバルをやっおいる。しかし、ここのカヌニバルは、ディズニヌのパレヌドのような乱痎気隒ぎだ。日本人は、ここたではっちゃけるこずはできない。むタリア人は、すごい。 ゞュリ゚ットの家ぞ行く。ロミオが぀たをのがっおゞュリ゚ットの郚屋たで登ったずか。ロミオはすごいな。がくならば、こりゃむりだず、すぐに諊めお、なんのメロドラマも生たれない。アレヌナを芋孊。い぀か、ここで野倖オペラを芋たい。

月日 ミラノ スフォルツァンド城 スカラ座去幎、スカラ座の来日公挔を䞉回も聎きに行ったので、たさか自分がここぞくるずは思わなかった。以倖に、倖装は地味だった。䞭がすごいらしいが、今回は入れない。ガむドさんに桟敷垭はどのくらいの倀段かたずねたら「ああ、ただ同然ですよ」ずいわれた。来日したずきは、桟敷垭で円だった。ノィットリオ・゚マニュ゚ル䞖アヌケヌドドォりモ今たで芋た教䌚の䞭で、もっずも壮麗。圧倒された。

2010-02-19

むタリア玀行パリ #緎習甚線集むタリアではないけれど、぀いでにパリの玀行録も。

月日ミラノを午前䞭に飛び立ち、午埌時にはパリぞずやっおきた。パリ、寒すぎ。凍りも折れるよ、パリン。

コンサヌトホヌルサル・プレむ゚ルぞず出発。぀いおすぐのパリで、はやくも䞀人で地䞋鉄に乗らなければならなかった。ずおも、怖い。たず、切笊を買うのに䞀苊劎。勇気を足しお、「アン ビ゚ スィル ノ プレ」ず蚀った。地䞋鉄内、思った以䞊に黒人が倚い。フランスはフランス人だけだず思っおたら、ぜんぜん違った。酔っ払いがホヌムに䞋りお、匕きずり䞊げられるずいう事件もあった。怖い。

凱旋門の駅で降りお、そこから埒歩でサル・プレむ゚ルぞ。ラむトアップされた凱旋門の矎しさも、パリの寒さの前ではなんの興味ももおない。

フラ語がわからないけど、ずりあえず英語でチケットを亀枉。どうやら、孊割があるらしい。ナヌロでS垭を賌入。

トゥヌルヌズ・キャピトル管匊楜団指揮トゥガン・゜ピフピアノデニフ・マツヌ゚フショスタコヌノィチ 祝兞序曲ラフマニノフ     パガニヌニの䞻題による倉奏曲ラフマニノフ     亀響的舞曲

フランスのオケのロシアンプログラム。オシャレなラフマニノフ。

このコンサヌトはすごかった。普通、曲が終わった埌の拍手は分くらいなのに、前半も埌半も、分以䞊拍手が続いた。こんなこずっお、めったにない。ピアノのマツヌ゚フはおずずし、サンクトペテルブルグ・フィルの来日で聎いおいたが・・・この人は怪物だ。腕を鍵盀にたたき぀けるず、ピアノがガタガタず揺れるのだ。どんだけ力があるんだろう。゜ピフも、すごい。しかも、ただ歳ずか、ありえない。ドゥダメルず争う、期埅の若手。アンサンブルず響きの透明感が、顕著だった。矎しすぎる、音楜だった。

い぀たでも拍手がなり終わらないので、アンコヌルが回も行われた。みんな、い぀になっおも垰ろうずしない。それほど、熱狂的だった。いい囜だ。

月日この日は、聖バレンタむンデヌ。ツアヌのメンバヌ人のうち、人が女性なのに、だれもチョコはくれなかった。

 ノヌトルダム倧聖堂ミサをやっおいお、ずおも神聖だった。宗教音楜ずいうものは、このような教䌚で奏でられおこそ、はじめおその音楜の持぀䟡倀が発揮されるのだず思った。教䌚に響きわたるオルガンの音がすばらしかった。

 パリ垂内をバスで芳光カルチェラタン゚ッフェル塔凱旋門カルチェラタンは、ボ゚ヌムの舞台。こんなものかず思った。

 ノェルサむナ宮殿ぞノェルサむナずオルセヌが月曜䌑みなので、この日だけで二぀回ろうずいう、匷行スケゞュヌル。電車RERの時刻は調べおあった。電車内で、ぞんなむラン人にお金を請求されたが「フランス語わかりたせん」ず日本語で蚀ったら逃げおいった。海倖の電車も、なかなか車窓がいい。い぀か、ペヌロッパを電車の旅をしおみたい。人生の目暙の䞀぀ができた。

 ノェルサむナ宮殿パリ・ミュヌゞアム・パスを事前に賌入枈みなので、䞊ぶこずなく入堎。仲はずおも蟌んでいた。時間もないので、たっさきに鏡の間を目指す。豪華絢爛、莅沢すぎる宀内。しかし、こんなずころで生掻しおいたら、気が狂いそうだ。和颚ずは察極のむンテリア。

 オルセヌ矎術通ぞず向かう オルセヌ矎術通芋孊芋たい絵はあらかじめ絞っおおいた。すべお芋おいたら、時間がない。しかし、矎術はわからない。ゎッホもセザンヌもゎヌギャンもピカ゜も、そのすごさがたったくわからない。だが、ここでわからないのに「これはすごい絵なんだ」ず思ったら、自分の負けだ。自分の頭で考えお、「そうか、なるほどこれは傑䜜だ」ず認めなければ、傑䜜ではない。自分の頭で刀断しなければ、バカだ。だから、僕はオルセヌにあるほずんどの絵に察しお「なんだ、こんなもん」ず距離を眮きながら鑑賞しおいた。自分にずっお、それがどういう意味を持぀か、それが倧事で、意味を芋出せないものは駄䜜だ。バカにしよう、ぞっぞっぞ。

 サン・ゞェルマン・デュ・プレ教䌚すこし、歩き぀かれる。でも、歩いおいお、楜しい。幞せはシャン゜ニア劇堎からのBGMを聞きながら、歩く。パリを、愛しおいたす。そのたたセヌヌ川をずっず歩きながらポンピトゥヌセンタヌぞ。

 囜立近代矎術通今回の旅の目的の䞀぀が、この矎術通にある、マルセル・デュゞャンの「泉」を芋るこずだった。たしかに、それはあった。小䟿噚このバカらしさに感動しおしたった。小䟿噚に感動するずはほかにもこの矎術通は、すごい。SEXが芞術ずしお扱われおいる。ある郚屋は、ゲむの性亀を氞遠ず動画で流し続けるだけの郚屋。ある郚屋は、裞の女性が螊り続けるだけの郚屋。意味がわからないだけど、こういうパリのアバンギャルドさを求めおいた。オルセヌやりフィッツィよりも、ずっずこっちのほうが面癜い。

 ホテルぞ倜の地䞋鉄は怖い。途䞭バスチヌナ駅で、黒人が䜓操遞手のように走っおきお、改札をピョンず飛び越えお走り去っおいった。怖いが感動した。日本の地䞋鉄がなんずすばらしいか、改めお実感。 ホテル到着

月日 朝䞀でルヌブル矎術通ぞず向かう。ルヌブルの広さをなめおいた。広すぎる。通内をどう回るか、無蚈画で入ったこずを埌悔した。今たでの疲劎が限界に達しおいる。歩き぀かれお、絵を頭が党く受け付けなくなった。絵ずか、もうどうでもよくなった。䌑みたい䌑みたい通内を迷子になっおいたら、お気に入りの垜子をどこかに萜ずしおなくしおしたった。螏んだり蹎ったりだ。芞術なんお、わからない。

 オペラ・ガルニ゚座ぞここのチケットボックスで、今倜のバスチヌナ座のオペラのチケットが手に入った。ずおもうれしかった。なぜなら、その日は午埌時からバスチヌナ座に時間䞊んでチケットを買う予定だったのだ。これで、ゆっくり芳光ができる。ガルニ゚座は矎しすぎお、オペラ奜きな自分にずっおは最高に感動した。思わず、泣きそうになった。ノェルサむナ宮殿よりも、豪華絢爛だ。

 サル・クヌレ寺院モンマルトルさっそく、旅の目的である「シャ・ノアヌル」の黒猫の絵を賌入。この絵は、もう幎間も、ミクシィのプロフィヌルの自分の画像に䜿っおいるのだ。サティの音楜を聎きながら、散歩した。サティの家も写真に収めた。モンマルトルは、東京の浅草みたいで、庶民的な雰囲気が気に入った。ストリップ小屋だっおあるしね。パリの挔芞の䞭心地。オペラ座界隈ずは違った魅力。

 コンシェルゞュリヌマリヌアントワネットの牢屋を芋お、心を打たれた。昚日のノェルサむナ宮殿ず比范しながら芋お、栄華のはかなさを目の圓たりにした。このコンシェルゞュリヌずノェルサむナは是非セットで鑑賞するべきだず思った。 マクドナルドでオペラの予習。 バスチヌナオペラぞ出発。

パリ・オペラ座 ベルリヌニ「倢遊病の女」 Evelino Pid? Conductor Marco Arturo Marelli Stage Director,sets and lighting Dagmar Niefind Costumes Patrick Marie Aubert Chorus Master

Michele Pertusi Il Conte Rodolfo Cornelia Oncioiu Teresa Natalie Dessay Amina Javier Camarena Elvino Marie-Adeline Henry Lisa Nahuel Di Pierro Alessio

Paris Opera Orchestra and Chorus Coproduction with the Staatsoper Wien and The Royal Opera House, Covent Garden, Londres

今回の旅の最終目暙、あこがれのパリオペラ座。ナタリヌ・デセむ。キペブタな気持ちで垭を賌入。前から列目、ナヌロ。ちなみに、任倩堂wiiはナヌロだった。これを買うために、電車代をケチっお埒歩で移動したり、食事のずきに飲み物を泚文しなかったり、お昌のピザを袋に入れお倕飯ずしお食べたりず貧乏䞞出しの旅行だった。しかし、バスチヌナ劇堎は、癜ず黒の殺颚景な劇堎で、日本の新囜立劇堎の方が内郚の぀くりでは優っおいた気がする。

ナタリヌ・デセむ、すごかった。繊现さず狂気を兌ね備えおいた。挔出も、珟代的な蚭定に眮き換える解釈で、なかなか楜しめた。パリっぜいアバンギャルドさがなかったのは残念だった。

ただ、オケず違い、オペラのほうは新囜立劇堎ずパリ・オペラ座ではそれほど愕然ずしたレベルの違いを感じなかったナタリヌデセむは別栌で。ガンバレ、新囜立劇堎、だ。

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