人生の大事なことを明確にして, 価値にフォーカスして生きようと, よく自己啓発できく. しかし, これはつらいときという限定的なアドバイスだと考えている. あまり悩みがない生活を送っているときは人生の意味はいらないんだ. 目の前のことにワクワクして夢中になっていればいいので. 楽しければ意味なんていらない.

なぜ生きるのか? 人生の意味が必要になるのは, しんどい時. 絶望的なとき.

たとえばUberEatsやっているときに交通事故で足がもげたとき. 朝起きたら突然耳が聞こえなくなりクラシック音楽がきけなくなったとき. 仮想通貨bot開発をしても損失しか出さず, 生活保護以下の生活水準で3年以上過ごしてもそれでもなお現実はなにも改善しないとき. いつになっても努力は報われず, この状況があと何年続くかもわからないまま毎日を生きなければいけない時.

つまり, 明日はなにをモチベにして生きればいいのかわからないとき. そんな絶望的な状況でも, イエスといって立ち上がれる信念がほしい. それは, ⚙青い鳥のように, 存在しないのかもしれない.

📚それでも人生にイエスと言う - ヴィクトール・フランクル

改めて読んでみると, それは唯一絶対のものではなく, 確固たる価値観ではなく, 人生の今この瞬間で絶えず求められることにその都度答え続ける行為らしい. つまり, 人生の局面によってそのつど考えて行動していくものかもしれない.

しかし, そういう行動指針的な考え方も含めて, わたしには明日を生きるモチベがほしい.