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- オペラ演出家
- フランツ・コンビチュニーの息子.
📚コンヴィチュニー - オペラを超えるオペラ - 許光俊
オペラとは物質であり、欲望だ。
オペラは現代演劇の技術水準へ高められる必要があった。現代演劇は叙事的演劇である。つぎの図式は、劇的演劇から叙事的演劇へゆくときの、アクセントの推移のいくつかを示している
[演劇の劇的形式] [演劇の叙事的形式] 行動する 叙述する観客を舞台のアクションに巻き込む 観客を観察者にする、しかし感覚の能動性を消費して 感覚の能動性を呼び覚まし観客に感情を湧かせる 観客に決定を強いる体験 世界像観客はなにかに移入させる 観客は対峙させられる暗示 論証情緒は保たれる 情緒は認識にまで到達させられる観客は舞台に浸り、ともに体験する 観客は舞台に向き合い、研究する人間は機知のものと前提される 人間は研究の対象である人間は変わらない 人間は変わり、変える解決を期待する緊張 過程に期待する緊張各場面は連続的 各場面は自立的生長 モンタージュ事象は短軌的 事象は複雑な線を描く不可避的な展開 飛躍固定したものとしての人間 プロセスとしての人間思惟が存在を規定する 社会的存在が思惟を規定する感情 理性つまり、伝統的演劇は、観客を夢中にさせ、劇への感情移入を促し、最終的には解決がもたらすカタルシスの中で理性を奪ってしまうもの。それに対して新しい演劇は、観客は情緒的効果に理性を奪われることなく、常に覚醒を促され、受動的ではなく、自発的な世界認識へと誘われるべき
オペラとは美食的であること。享楽の手段であること。享楽手段から教材を発展させること舞台と観客席がいっさいの「魔法めいたもの」から、洗い清められ、[催眠の場]が生じないことしかし、人は、音楽がまさに融和的な美であるからこそ、この芸術をことさら愛するのであって、そのつかの間の融和の夢が消え去るなら、あえてオペラハウスを訪れようとはしないだろう。
「私たちの社会における劇場の役割は、ますます小さくなっていきます。劇場はもはや必要とされていないし、望まれてもいないのです人口全体からすれば、ごくわずかの人間が劇場やオペラハウスに出かけるに過ぎません。そしてそのうち、作品の本質に興味がある人間などというのは、もしかしたらたかだか三分の一しかいないのかもしれないのです。
劇場が観客によい趣味を教えているように見えて、事実は、観客はすでに(自らが信じるところの)よき趣味(良識、常識)をもち、自分の持っているよき趣味を確認するために劇場に出かけるに過ぎない。博物館的オペラ上演が期待される。
こうした劇場で上演されるオペラとはもう括弧つきの「芸術」・・・すなわち、公に認められた、品位ある、好ましい、有益な、きれいな、人類の貴重な遺産・・・であるほかない。そんなオペラはわれわれの生々しい生活からはバッサリ切り離されてしまっている。いったいうまくいくかもわからない怪しげな実験や、人間の暗部を見せつける上演や、激烈な怒りや、苛立ちや、下品な哄笑や、びっくりするような思いがけず鋭い真理や、つらいうめきや、そうしたこもごも、つまり劇場を劇場たらし
💡悲劇は社会的存在や環境によって規定され我々の隣人として示される
オペラの登場人物たちの運命は、社会的であるよりも、個人的なものとして描かれる。もし平凡な人間であったとしたら避けられたかもしれない何事かに、ほとんど自ら飛び込むことによって、悲劇を成就するのである。
どんなに狂気じみた人間であっても、われらが隣人として示される。彼らは最初から常軌を逸しているのではなく、ある状況下でそのように強いられているのである。つまり、人間はあくまで社会的存在や環境によって規定される存在としてたち現れてくる。悲劇は、選ばれた人間だけに起こるのではない。悲劇と喜劇はたやすく交替できるし、また交じり合えるのである。特別な運命だから悲しいのではなく、誰にも起こりうるからいっそう悲しくていたたまれないのである。
カタルシスは拒否されなければならない。カタルシスとは、結局、客席にいる観客が、少なくとも今この瞬間の自分には決して降りかからないとわかっている運命や悲惨に打ちひしがれてた人間を目撃して感じるものだからである。 麻酔や陶酔は避けられるべきである。代わりに、覚醒と反省があるべきだ。うっとりして現実を忘れてしまうような逃避的音楽は、容赦なくぶち壊されるべきである。だが、現実的な悲哀や困難や悲惨を喚起する音楽は、この上ない力強さで立ちあわられてくる。
世界とは「このようにみえてしまうもの」
芸術とはさまざまな解釈を許すものである。あるいは、さまざまな解釈が可能な芸術ほど豊かな芸術である。芸術においては作り出したものが意識すらしなかったことが表れているのが常といってもよい。作品の姿とは、もろもろの解釈の総体なのである。そして、そもそも世界とは「このようにみえてしまうもの」にほかならない。