• created: <2023-09-09 Sat 20:06>

生きているだけで価値があるという主張が偽善で嫌い

「生きているだけで価値がある」, この主張がとても嫌いだ. これを分解する.

どうも生きているだけで価値がある!という主張に偽善を感じる. 偽善を払う次の問は, じゃあその価値に対して毎月サブスクでいくら支払うのかという問いだ. 偽善者は1円たりともお金を出さないだろう. 偽善者と思われたくない人はお金を支払うかもしれないが, 生きているだけで価値があるから1円とか10円とかを支払うといわれたところで, なにも嬉しくない. せめて月額10万円くらい欲しいところだ.

そもそも, 価値というものは相対的なものではないだろうか? 需要と供給で成り立つような, 市場価格ではないか? 生きているだけで価値があるとは, そもそもその人に値札がついているのか? 存在の所有権を購入するのか?存在でなくても, そこから切り取った時間の所有権を購入するのか?それが労働ということ?存在や時間はお金で変えるのか? 買えないでしょう. 価値なんてないんだ. これは, 経済学における価値の考えかもしれない(知識をつけて深堀する).

経済的な価値ではなく, 倫理的な価値はあるのか? 存在するだけで価値を生み出すような, 人間とはそういう存在なのか? ここでも, 結局それは人と人の関係性のなかで価値があるのではないだろうか?全くあったこともないような人に価値を見出すことは難しいし, そうでなくても, ほとんど知らないような人や, 興味がない分野に価値があると思うほうが難しい. 見える部分にしか価値を見いだせない.

📍生きているだけで価値があるとは?

このテーマは深く, 先人も考えているだろうし, わたしは無知だから, いろいろとこの問にたいして知識をあつめたい.

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