自分の価値観に従って生きる, いわゆる📝オーセンティシティとは, なぜ生きることが強調されるのだろうか?
自分のやりたいことをやれとか, これからは好きなことをして生きる時代だとか, 言うのは簡単だがそういう人を信じない. 大抵の場合は, 周りを無視して自分の価値を追及しようとするならば, 死ぬのだ. 自分にとって価値あることは他人にも価値があるとは限らない. そして価値がなければお金ももらえずに, 🔖寒さとひもじさが待っている. 意識高い系の主張には, 🎓沈黙的世界観が足りない. 泣いても🎓白い壁からお金が生み出されることはない.
それでも, 自分の価値観に従い, 嫌われる勇気を発揮して生きるとは, すなわち死ぬことだと思う. 死を覚悟して, それでも自分の価値観に従って死ぬのかという問題になる. それは, 武士道における📝切腹のようなものかもしれない. 西洋人にとっての腹切文化は狂気だし, 現代の日本人からしても狂っている. 死ぬ必要なんてないのに, なぜそこで腹を切るのだ?
そこには, 価値観に従って死ぬという美学がある. 切腹の価値観は, 武家社会における忠義, 誠実さ, 責任感, そして武士道精神を表すものであり, これらの価値観が武士としてのアイデンティティを形成していたた。武士たちはその武士道の価値観を貫くことで自己実現を達成したと解釈している.
拷問を受けて死ぬ人間の死ぬまでの心の葛藤にも同様の覚悟があるだろう, 死を覚悟して価値観を貫く自己実現をするか? 自分らしく生きるとはそれほどに覚悟が必要な場合もある. それを考えると, 自分らしく生きないほうがいいかもしれない. なぜなら楽だから.
📜武士道とは死ぬことと見つけたり - 新渡戸稲造とは, 現代においては自分らしく生きることであるが, それは自殺に等しく, それでも自己実現を貫き死に向かって努力するかということと解釈している. 死の香りがしない主張は胡散臭い. 平和ボケでしかない.
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<2023-03-20 Mon 21:58> - 🌳価値観
- 💡煉獄さんの人気の裏には損だとわかっているのに「それがどうした」と自分の美学を貫く素晴らしさがある