📚トニオ・クレエゲル - トーマス・マン
岩波文庫
ところで恋というものは、彼に多くの苦痛と災厄と屈辱とを招くに決まっていること、その上平和を乱して、心にさまざまな旋律を溢れさせるから、あることをまとめ上げて、ゆっくりとその中から完全なものを作り出すだけの余裕がなくなってしまうことを知っていたけれど、そのくせやはりお喜びで恋を迎え入れて、すっかりそれに身を委ねながら、心情の力をつくしてそれをはぐくんでいった。なぜといえば、彼は恋が人を豊かに元気にすることを知っていたし、またゆっくりと完全なものを創り上げる代わりに、豊かな元気な心持でいたいと切望したからである。
彼が地上で最も崇高だと思った力、それに仕えるのを天職だと感じた力、彼に尊厳と栄誉とを約束した力、つまり、微笑しつつ無意識な無言の人生に君臨している、精神と言語との力に、彼はまったく身をゆだねた。ところが、彼の見たものはこれだった・・・滑稽と悲惨、滑稽と悲惨
官能に対する嫌悪と憎悪とが、そして純潔と端正な平和とに向かっての渇望が彼を襲った。同時に彼は芸術の空気を・・・ひそやかな生みの喜びの中で、すべてが萌え、かもされ、芽生えてゆく不断の春の、なまあたたかい、甘い、芳香に満ちた空気を呼吸していた。だから結局、彼はふらふらと、激しい極端から極端へ、氷のような精神偏重から、身を蝕むような官能灼熱へ、投げやられてはまた投げ返されながら、良心の呵責のもとに、精根の尽きるような生活を、典型的な放恣な異常な、自分でも心のそこではいやでたまらない生活を送るほかなかった。
本当にぼくは、人間的なことに参与しないで、人間的なことを表現するのが、往々死ぬほどいやになるのですよ。・・・芸術家というものは、そもそも男でしょうか。それは「女」にきくがいい。
感情という涙のヴェールを貫いてまでも、透視し認識し記憶し観察して、しかもその観察したものを、手と手がもつれ合い、唇と唇とが触れ合う瞬間、人間の目が感覚にくらまされて見えなくなる瞬間に及んで、微笑しながら片寄せてしまわなければならない・・・これはふとどきなことです、リザベタさん、けしからんことです。憤慨すべきことです・・・しかし憤慨したところで、なんの役に立つのでしょう。
精神と芸術とに、永遠の対立として向かい合っている「人生」は、決して血なまぐさい偉大さいさとか、荒々しい美とかいう幻影として・・・つまり異常なものとして、われわれ異常な者たちの目に映じているのではありませんよ。ただ尋常な端正な快適なものこそは、われわれの情景の国土であり、誘惑的に平凡な姿をした人生なのです。最後の最も深い心酔が、洗練された奇矯な悪魔的なものである人、無邪気な単純な溌剌としたものへの憧憬や、いささかの友情、献身、親睦、人間的幸福への憧憬・・・そういう憧憬を知らない人は、芸術家とはいわれないのですよ。
ある奇跡を、ある妖幻な証明の魔術を、現前に眺めるような気がした。海峡の方へ向かって、ガラス扉と露台がついていて、薄い白妙の幕で、今と寝室に仕切られている彼の部屋は、薄いろの壁紙と軽い白っぽい家具とがあるので、いつも晴れやかな心地よい趣を呈していた。ところが今、彼のねぼけまなこは、その部屋がこの世ならぬ浄化と光燿のうちに、すぐ前に横たわっているのを見た。えもいわれぬ優しい匂やかなばら色の光が、隅から隅まで満ち渡って、壁と家具を金で染めた上、妙の戸張を柔らかく赤く燃えたたせている。
「我は寝ねまし、されど汝は踊らでやまず。」この文句の語る憂鬱で北国的な、誠実で不器用な感覚の重苦しさを、彼はじつによく知っている。眠るのだ・・・動くとか踊るとかいう義務なしに、甘く物憂くそれ自身の中に安らいでいる感情・・・まったくその感情のみに生きられるようになりたい、と憧れるのだ。・・・しかもそれでいて、踊らずにはいられないのだ。敏活に自若として、芸術という難儀な難儀な、そして危険な白羽踊りを演ぜずにはいられないのだ・・・恋をしながら踊らずにいられぬという、その屈辱的な矛盾を、一度もすっかり忘れきることなしに・・・
自分が今の自分になるまでに至った年月を通じていったいなにがあったのであろう・・・凝結だ。荒涼だ。氷だ。そうして精神だ。そうして芸術なのだ・・・。彼は着物をぬいで寝床に入って、灯りを消した。彼にとっては、本来の根源的な恋と悩みと幸福との様式を、生活を、素朴で誠実な感情を、故郷を意味するものである。彼はあの頃から今日までの歳月を省みた。おのれの経てきた官能と精神と思想との、すさみ果てた冒険を思い起こした。溌剌と精神とに蝕まれ、認識に荒らされ、しびらされ、創造の熱と悪寒とに半ば摩滅され、頼るところもなく、良心に苛まれつつ、森厳と情欲という激しい両極端の間を、あっちこっちへ投げ飛ばされ、冷ややかな、わざとえり抜いた高揚のために、過激にされ貧しくされたあげく、乱れてすさみきって責めぬかれて、痛み衰えてしまった自分の姿を眺めた・・・そして悔恨と郷愁とにむせび泣いた。
あなたはかつて僕を名づけて、俗人、道に迷った俗人と呼ばれたことを、覚えていますか?世の中には凡庸性の法悦に対する憧憬を、ほかのいかなる憧憬よりも、さらに甘くさらに味わいがいがあるように感ずるほど、それほど本源的で運命的な芸術生活があるのです。僕は偉大な悪魔的な美の道で、冒険を試みながら、「人間」を軽蔑する、あの誇らかな冷静な人々を賛美します。しかし彼らをうらやましいとは思いません。