過去に何度も死にたいなと思ったし, 実際に全財産も吹っ飛んだし, その結果思い出のモノもすべて失ったし, そのあとさらに3年間努力がまったく報われなくて虚無感しかない.
しかし, ここからそれでも死なないで生きていくとは, どういうことなんだろうか?さっさと死ねばいいのに, それが合理的なのに, それでも死なないとは, 単に好奇心で人生ゲームという世界をのぞいて楽しんでいるんだ. 現在は人生ゲームの死んだあとのボーナスステージだ.
自我とは自分ではない, 思考を思考として観る, 仏教ではよくいわれることだが, まだどうしてもできない. 「わたしが」という気持ちがあり, それが怒りや嫉妬の感情を生み出す. わたしは怒りを手放したい.
この世界は死後の世界である
これは極論なのだが, それはわかるが, それでもそのような物語の上に毎日を営むことは, 心を清らかにして, 怒りと嫉妬と欲望の炎を鎮める方法として, よいようにおもう.
命をかけて努力するとは次元が違う. もう死んでるのだし, かりになにかを手に入れたところでもう死んでいたら「それで?」ってなる.
Journals
- 💭現在を人生ゲームの死んだあとのボーナスステージとリフレーミングして生きる(23/08/08), これに仏教をかけ合わせてupdateしてzettelにして独立.
- 💭40歳を人生の晩年と捉えて死を待ちながら余生を過ごす感覚で心穏やかになるが世の中に関心がなくなる(23/06/17)