仏教思想を学んでよいなと思うところは, 理論とその実践としての行法がセットになっている. しばしば経験を重視するところ.
たとえばカントやニーチェの哲学の書籍を読んで, じゃあその思想をいざ実生活で役立てようとしたとき, いったい読者はなにをすればいいのだろうか?おおくの哲学は, 理論があるが日常生活でそれをどうするかというところがないので, 頭でっかちになってしまう.
その点, 座りなさいとか念仏を唱えなさいとか, そういう具体的な修行方法とセットになっている思想は練習しやすいのでよい.
行を欠いた独自展開は劣化コピーのように思える. インド哲学を西洋に紹介したショーペンハウエルも, 唯識を中国に持ち帰った玄奘も, 奈良の大仏をつくった聖武天皇も, 瑜伽はどうしたんだよ! 完成された思想だけもってきても, その検証する道具がないじゃないか. 神経科学ならばfMRIがないし, 心理学ならば統計学を輸入し忘れている.
これを喩えるならば, 笑いの理論をまなんでまったく笑いが取れない落研時代のわたしだ. 談志師匠の現代落語論を読み, 枝雀師匠の緊張と緩和の理論を学び, 無敵最強の爆笑王になったつもりが無風の失笑しかなかった. なにやってるんだよ, 高座百ぺん, 舞台に立てよ!
- 🧘ヨーガ
<2024-07-29 Mon 08:12>📚ヴィパッサナー瞑想の教科書 - バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ(2023)からextractした.- 📚意志と表象としての世界 - ショーペンハウエル