弁証法とは
弁証法(Dialectics)は, 相反する2つの考え方や状況が存在することを指し, それらを調和させることによって真理や成長を追求すること.
🎓哲学の概念.
🐥Glossary
📝テーゼ
定立. Thesis. ある観念や理論を表明すること、あるいは、ある主張を表明すること.
- 著者や話者が主張する中心的な考え、📝命題.
- 証明や擁護しようとする特定の立場や見解
- 明確な主張を含む
📝アンチテーゼ
反定立. Antithesis, テーゼに対する反対意見や理論.
ジンテーゼ
Synthesis, テーゼとアンチテーゼを統合して、より高度な結論や理論を形成すること.
アウフヘーベン
🎨弁証法的構造
弁証法的なパターン.
「本質的に弁証法的」とは、ある現象や概念が内在的に矛盾を含み、その矛盾が発展の原動力となる構造.
👨フリードリヒ・ヘーゲル
ドイツ観念論の代表者.
📚精神現象学 - ヘーゲル
ほとんど意味不明。序論でこの難しさなのだから、本論なんて、キチガイの産物に違いない。
しかし、重要な考え方を学んだ。ひとつの物事には肯定的な面と否定的な面との二つがあるのだ。うつになると、否定的な面しか見えなくなる。この世界のすべてが嫌になってくる。しかし、弁証法的に考えるには、ここでぐっとふんばって、嫌なことの中に肯定的なことを見つけ出さなければならない。そして、嫌なことといいことを激突させ、解決させるのだ。そうすることで、僕の精神は発展していくのである。なんだか、これはソナタ形式そのものだ。僕は今生きにくい。嫌だ嫌だと毎日思っている。だけど、なにがそんなに嫌なのか、本当にそれは嫌なことなのか、嫌なことにいいことは含まれていないのか、ということを吟味してみる必要がある。逆境はチャンスなのである。僕がうつになったのは、僕の精神力をより強靭なものに鍛え上げ、復活するためなのである。
18:32 2006/08/18
序論
私の言いたいことは、すなわち、真なるものを、実体としてばかりではなく、まさに主体として把握し表現すること、これである。同時に、実体性という場合、そこには、存在としての直接性、すなわち知識にとっての直接性とともに、知識そのものの直接性としての、一般的なものも含まれている、ということに注意しなければならない。
生きた実体は、存在といっても、真実には主体であるところの存在である。いいかえれば、生きた実体とは、その実体が、自分自身を定立する運動であり、自ら他者となりつつそのことを自分自身に関係づけ媒介するという、この限りにおいてのみ真に現実的であるところの存在である。主体としての限りでは、それは単純な否定性であり、まさにそのことによって、単純なものを分割するはたらきである。その際、対立的なものへと二重化しながら、互いに交渉のないそれら二つの項の間の差異と対立が再び否定される。このように自分を回復する同一性、あるいはほかであることにおいて自分自身に帰ってくる反省、これが真なるものなのである。真なるものは、それ自身になりゆく生成としてある。それは円環、すなわち、前もって目的として立てた自分の終わりを初めとして、そして、それを実現する過程と終わりとによってのみ現実的であるところの円環である。
精神は、自分自身がまったく引き裂かれた何かにあってこそ、自分の真理を獲得する。精神がこの威力でありうるのは、それが、否定的なものから目を背けるという意味で肯定的なものであるからでない。すなわち、われわれが何かあるものについて、これはつまらないとか、間違っているといい、もうそれは済ませたことにして次に別のものへ移ってゆく、といった場合のようなことなのではない。精神の威力は、否定的なものに面と向かってそれを直視し、そのもとに身を置くという、まさにそのことに存する。否定的なもののもとに身をおくことが、それを存在へ転ずる魔力なのである。