哲学が価値判断の体系として, 個人の問題を考えるときその判断の元ネタになった個人的体験が紐づいてないことは問題だ. 恥ずかしいからそういうことは表に出さないのかもしれない. 公開しないのかもしれない.

しかし, 案外価値判断とはあるルールに従った結果得られた快と不快の個人的体験が大きいとしたら?

書籍を読んでもその哲学者がはじめて母親に褒められた体験や, はじめて友達ができた体験はわからない. 潜在意識に刻まれた快と不快はなにかを判断する上での影響は大きい.

このアイデアは📝強化学習に似ている.