仏教マインドフルネスを指す仏教用語
- 📝サティ/念: 気づく.
- ☸随念/アヌッサティ: 気づき続ける.
- 📝正知/サンパジャニャ: 気づきによる理解.
- 📝不放逸/アッパマーダ: 今を生きる.
英語版Wikipediaに列挙されてる. 日本ではあまりない視点なことがマニアックでおもしろい. これらはすべて微妙に異なる側面を持つ.
マインドフルネスは今に気づくことではない. 繰り返し思い出し記憶に止めること. なにを?その対象はダンマ、生成と消滅を繰り返す縁起の法を繰り返し思い出すこと.
✨サティは三学すべてに必要な注意機能
サティは気づきという機能であり、これを活用して修行をする. ヴィパッサナーのみに依存する概念でない. 念の機能強化によって戒、定、慧を育てる.
- 戒: 🧘デイリーマインドフルネス: 気づく->反応パターンを止める/変える
- 定: 🧘サマタ瞑想: 気づく->集中状態に戻す
- 慧: 🧘ヴィパッサナー瞑想: 気づく->三相をみる
現代類義語
☸サティ/念
念. サティ(sati).
ニュアンスとしては気づく続けるという状態. ただ文脈によって単発の気づきという機能としても語られる.
- 🧘念処: 念の対象
- 🔦正念には仏教の真理に気づくという単なる世俗的なマインドフルネスより上位の意味がある
- 🔦仏教の悟りの境地とは盲目的な悪い癖を止めること - 魚川祐司, マインドフルネスとは盲目的な悪い癖に気づき続ける実践.
原義
念=satiは多義語.
- 瞬間瞬間の気づき, ありのままの注意
- 特定の瞑想対象や教えを随念する, ☸随念/アヌッサティ
- 記憶する, 🙏憶念,
- 口に出してとなえる -> 🙏念仏へ.
🙏憶念
心に深く思って、忘れないでいること. 📝サティ/念の記憶の意味を強調するときの表記.
声に出しつづける -> 🙏念仏へ.
<2025-03-12 Wed 20:38>
念はマインドフルネスなのに、サマタに分類されることが一見矛盾しているが、この憶念の観点こそ、サマタとヴィパッサナーをつなげる橋のような概念な気がする.
特徴
- 能動性: 🔖アテンションにも近い性質がある. 注意を向け続ける, 注意の繰り返し.
- 🔦マインドフルネスは言語化/抽象化/概念化する前の段階の瞬間的な経験
- 言語化される以前の経験.
- 概念のない認識.
- 現象を概念化される前の「識る」という束の間の瞬間.
- エゴのない注意力
- わたしはない.
- 偏りのない観察.
- 判断をせずに観察する.
機能
- するべきことを思い出させる
- ものごとをありのままに見る
- あらゆる現象の本質を見る
1と2は相互補完的におこる. ものごとをありのままにみることと、ありのままにみてないときは、ありのままにみることを思い出す。
3は三相を観る. ありのままにみると現象は三相てあることがわかる.
✨サティは気づき続けるという状態
自分の中で整理中. サティ=念=マインドフルネスは状態というニュアンスかある.
しかし, 🔖八正道のひとつとしての正念は手段であり, 機能的な意味合いがある. しかし, 正念は「継続的に気づき続ける」という機能であり, もはやそれは状態のようなニュアンスがある.
再帰関数のようなものだ. それはもやは関数型プログラミングでloop-recurで状態を表現するようなもの.
🔦サティは能動的気づきで一般的な訳語としての「気づき」は受動的であり不十分
「気づき」とは🔖サティ. 観察によって能動的に意識的に注意を向け続ける気づきであり, 突然「ハっと気づく」のような受動的気づきとはニュアンスが違う. よい日本語訳はないので誤解しやすいかもしれない.
サティには注意を向け続けるという能動性がある. 一方, いわゆる一般的な気づきとは「はっと」気づくのうに, 受動的な, 向こうからやってくるもののようなニュアンスがある.
そのため, サティや念をそのまま気づきというと, 少しニュアンスが異なる.
【瞑想するすべての方】瞑想の本質!サティ-sati-(念)とは何をするのですか? - YouTube
Opinions
🔦仏教的マインドフルネスには今ココに加えて自分を超えた存在に委ねる視点がある - しょうもん
マインドフルネスは, 念から仏教的要素が取り除かれて世俗的な流行になってしまった言葉. むしろ仏教のほうが医療的マインドフルネスやビジネスマインドフルネスに対抗して, 仏教的マインドフルネスといわれはじめた. マインドフルネスの大衆化, スキルとしてのマインドフルネス.
世俗的マインドフルネス = 仏教的マインドフルネス - 仏教思想.
仏教的マインドフルネスには, 自分を超えた存在に委ねる視点がある. そしてそれは, 瞑想を普段からすればするほどに, 自力のマインドフルネスではうまくいかないことが多く, したがって昔の人が考えた瞑想の工夫. キモは, 🔖畏敬の念にある.
- 📜日日是好日: ブッダはマインドフルネスに「死」を加えた.
- 📜帰家穏坐: 道元はマインドフルネスに「仏」を加えた.
- 浄土経: マインドフルネス + 阿弥陀如来 - 異次元
- 👨大日如来, 真言密教: マインドフルネス + 宇宙
- スピリチュアル: マインドフルネス + 大自然 etc.
ref. ティク・ナット・ハンとマインドフルネス - YouTube
<2024-05-12 Sun 19:59>
これだよこれ, これが知りたかったんだよ.
✨サマタ/ヴィパッサナー/メッターの瞑想3本柱に死と仏が加わるのが仏教マインドフルネス(五門禅)
🔦マインドフルネスの上級が今ココへの執着を手放して無常を見ること - 佐藤哲郎
今ココにしがみつこうとしてもしがみつけない, ずっと今だけに集中することなんて, 普通に生きているとそれはできない.
「仕方ない, じゃあ手放すか」といって手放せばいいだけだ. すべての現象は無常であることを確認することが仏教の本質. 無執着. 今ココという概念も, それはオブジェクトひとつであり, 今ココの無常であることを、確認する.
イマココと無執着 ストーリーは道具か?救いか?|コラボ座談会アフタートーク(岡本直人✕佐藤哲朗) - YouTube