🔖思考を観る, 思考をメタ認知する喩えでよく使われる表現.
しかしわたしには, 思考を観るよりも思考を聴くのほうがしっくりくるかもしれない. わたしは視覚刺激よりも聴覚刺激のほうが敏感だ. 視覚には見ると観るがあるように, 聴覚には聞くと聴くがある. なので, 思考を聴く.
生きていると思考や物語から逃れることができないことは, 思考を聴くという観点からだと騒音から逃げることができないと言い換えることができる. 静寂がほしい. しかしうるさいことに苦しんでいる時, 音から逃れることができない. カフェとかでとても良く感じる. 人の声, 車のエンジン音, 望まない隣の人の音楽… 音から逃れられない, 存在するだけで苦しい. 耳をふさいでも心の声がまたうるさい.
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<2023-10-07 Sat 23:32> - 📑騒音への不快感
- 📏視覚よりも聴覚のほうが敏感
📏思考には日本語を伴う
これは自分で気づいたものの, 同じようなことはみんないっている.
反芻思考がうるさいとき, 日本語ではなく英語で考えてみようとするとそもそもうまく考えられないし, 犬になりきってわんわんと考えることは難しい. ピカチュウ語は論外.