Insights

  • 倧孊生のずきのメモを転蚘し぀぀むンサむトをほかのメモに぀なげおいく.

🀔志らく垫匠の魅力は人情噺が笑えるこず

たさにこれ.

ref. 人情噺に笑いを入れるべき

この䞻匵を䜓隓する志らく垫匠の人情噺はずおもおもしろく, そこが魅力.

しかし前提ずしお私はそもそも人情噺があたり奜きではないため, 笑いがあればそこそこ長い人情噺もきけるずいうだけかも.

🀔噺の本質を考えるずいうこずが魅力的

志らく垫匠の魅力のひず぀はここだずおもう.

そしおそのキモがどこだずいうのを解説したのは

Literature Notes

東京萜語の魅力は粋

東京萜語の最倧の魅力は粋である。客に笑っおもらうのではなく、客を笑わせるのだ。芞術的志向が匷いのが東京萜語。しかし本来、粋なんおものは倧衆にわかるわけがない。粋は抜象的で埮劙であり、䞖間から盞手にされなくなる。珟代は、今ずの接点を芋いだし、それを前面に出しお挔じるこずが、珟代においお萜語をやる最良の方法。

うたい萜語はリズムずメロディ

リズムずメロディが心地よいのがうたい萜語で、それらがたずいのが䞋手な萜語。ほずんど歌に近い。だから萜語は聎いお芚えるのが䞀番効果的なんです。萜語は歌なんです。だからどんなに噺家の個性が匷かろうが、創意工倫がなされおいろうが、肝心のリズムずメロディがたずいず、これは聞いおいられない。倧孊の萜語研究䌚のやる萜語が聎けたもんでないのは、このリズムずメロディがなっおないからです。前座のあいだはリズムずメロディの勉匷に終始するべきだ。

リズムずは、䞊䞋、぀たり目線を切るずきの間であり、スピヌドのこずだ。人物が瞬時にしお入れ替わるずきに劙な間ができないよう、スムヌズに入れ替わらなければ、聎いおいるほうが気持ち悪い。声色を䜜りすぎるず、リズムがずりにくくなる。声色を倉えない代わりに、声のトヌンを倉えおみたりする。さらにテンポも人物によっお倉化させ、人物わけを明確にする。

぀づいおメロディ。これはその萜語家の口調であり、蚀い回しである。これは䞀朝䞀倕にできるものでない。

萜語の魅力はデフォルメ

それから、萜語の魅力はデフォルメであるが、これは党䜓のバランスを考えおやらねば本末転倒になる恐れがある。私が思うに、話の䞭のキャラクタヌのその存圚自䜓を匷烈に面癜くするのではなく、どんなや぀なのかわかる皋床のデフォルメでいいのではないか。

ドタバタ喜劇的なものは、淡々ずやればやるほど面癜い。ドタバタ喜劇の鉄則だ。䞀流のコメディアンはぞんおこな顔をしお笑いをずろうずはしないし、オヌバヌなアクションもしない。ずにかく淡々ずずっこけお笑わせる。

嚯楜の倚様化した珟代ではリズムだけでは物足りない。そこでデフォルメや珟代アレンゞが必芁になっおくるのだ。

萜語のリアリティ

぀ぎはリアリティ。結論から蚀うず珟代では萜語におけるリアリティはそれほど远求する必芁はない。ある皋床は必芁だが、それよりも挔者の䜜品自䜓ぞの印象のほうが倧事だ。埮にいり现を穿ち培底的に描くよりも、登堎人物の生き様を挔者がどう受け止めるかが勝負になっおくる。

萜語は噺の蚭定が昔である。だからこそ、珟代ずの接点を芋いださなくおはたんなる昔話になっおしたう。蚭定は昔だが、登堎人物が珟代の感芚を倚分に持぀こずではじめお珟代に生きる暩利をもおるのだ。叀兞、぀たりクラシックずはそういうものではなかろうかその時代を生きおいおこそ、クラシックは䟡倀がある。だから、萜語を語る萜語家には十分な珟代感芚が必芁になっおくる。

たたは、極端なはなし、個性が匷烈であれば、仮に珟代性が無くおも個性が珟代性を凌駕しお、面癜い萜語家になっおしたう堎合もある。

倧事なこずは噺の本質をずらえるこず

萜語をやる堎合、倧事なこずは噺の本質をずらえるこずだ。それができおから、登堎人物の生き様に迫っおいく。「元犬」は動物論、「粗応長屋」は人間の生死、「青菜」は暑さにぶち切れた怍朚屋の異垞なたでのブルゞョアに察する憧れ、「倩灜」はいわゆる掗脳、「疝気の虫」は珟代医孊の限界、「たちきり」は愚かな男女の悲劇、「芝浜」は理想の倫婊は停善的であっおも倢物語を提䟛しおくれる、云々。

恐怖の䞭の笑い

恐怖の䞭に笑いがある。なるたけリアルに描き、芳客をある皋床恐怖の空間に誘い、そしお埐々に笑わせる。この方法が最も効果的だ。

人情噺に笑いを入れるべき

珟代においお叀臭いドラマである人情噺で芳客を魅了するには、笑いを入れるべきである。珟代人はもっずすごいドラマを知っおいる。笑いを泚入するこずによっお、話の䞖界に誘い蟌み、この䞖界によっおもらうのが珟代においお最高の挔じ方だず私は思う。談志ほどの人生芳や、円生ほどのテクニックがあればおよびでない。


珟代は、悲惚な事実が情報ずしおあふれおいる。「子別れ」なんお屁みたいな話がいくらでもある。「子別れ」ごずきを埗意な顔をしおゞメゞメやっおいる堎合ではないのだ。こういった話で聎くものを感動させるには、笑いをたくさん提䟛しおそしお少々ホロッずさせるのが䞀番効果的だ。そうしないず、珟代の客はこのレベルのお涙頂戎の話には぀いおこない。このこずは人情話党般に蚀えるこずだ。たず笑わせるこずである。

萜語は人間の業の肯定であるの志らく垫匠解説

「萜語は人間の業の肯定である」ずいったのは談志である。どういう意味かずいうず、人間は匱いものだ、眠くなれば寝ちゃうし、食いたければ食っちゃう、勉匷しろったっおやだず思えばやらない。こういった人間の業を認めおやるのが萜語っおこず。これらの業を克服する、぀たり人間はがんばれば出䞖できる、だから努力しなさい、ずいうのが芝居であり映画である。萜語はどうせがんばったっお無理だよ、がんばっお出䞖できるならするけど、才胜のある奎や金持ちにはかなわないだろ、っおのが萜語。努力しないでいいずいっおいるのではない。人間っお所詮はそういうもんだろ、っおこずを蚀っおいるのだ。そう思っお萜語を聞いおみるず、なるほど、党郚そうなのだ。

💡萜語はむリュヌゞョンであるの志らく垫匠解説

さらに最近、談志は新たな説を発衚した。それは「萜語はむシュヌゞョンだ」人間は元来非垞識なものであっお、攟っおおくず非垞識になっおしたうので垞識をこしらえお瀟䌚を築いた。だけど萜語の䞭ではこの非垞識を認めおやろうよ、䌚話䞀぀ずっおももっず蚳のわからないこずをみんなで蚀っおいるじゃないか。らくごっおそういうわからないむリュヌゞョン的なものじゃないかず。

💡むリュヌゞョン萜語

博物通的な萜ち

説明をしなければわからないような萜ちは、本来ならやる意味がない。説明しおでもやるずいうのなら、その䜜品は珟代に生きる䜜品ではなく、博物通行きの䌝統芞胜であるず認めるこずになる。

孊校寄垭はただちに廃止すべし

孊校寄垭はただちに廃止すべし

初めお孊校寄垭で萜語を䜓隓するのですぞ。ここで聞いた萜語こそ、圌らにずっおは党おなのだ。もし、぀たらないず感じさせおしたったら、どうする぀もりだ。䞋手をするずその子䟛たちは生涯萜語を聞かないかもしれないぞ。「孊校寄垭で萜語を聞いたこずがあるけど、萜語っお぀たらないねぇ」っおなこずになりかねん。

だいたい、孊校で催すものに面癜いものがあるわけないず子䟛は気が぀いおいる。だからこそ、孊校寄垭をやるのであれば、芞人ずしお勝負のずきだず芚悟しおやっおいただきたい。「どうだ、萜語っお面癜いだろ、凄いだろ」っお連䞭に思わせなければダメだ。

ほかの話題

黄金逅こそ、江戞萜語の真髄。江戞萜語のポむントは粋、わび、さびずいわれおいるが、それら以䞊にこの陰の占める芁玠が倧きい。江戞萜語の名人を思い浮かべお埡芧なさい。志ん生、文楜、円生、小さん、談志、皆陰気である。江戞萜語は陰気の矎孊なのだ。笑いむコヌル陜気ずいったむメヌゞがあるが、なになに、䞊質な笑いは陰気から来るものが倚い。陜の笑いはナンセンスが䞭心であり、瞬間的な笑いの量は倚いが、残るものが少ない。

お人よしは決しお善人ではない。どちらかずいうず瀟䌚にずっおはなはだ迷惑なや぀である。

吉原の話は珟代の人間にはわかりづらいなんおのは挔者の逃げ。吉原の様匏矎を珟代に䌝えるのが萜語家の第䞀矩の目的ではない。挔者の魅力ず噺の内容でどうにでもなる。

愛宕山は、内容だけ芋れば薄っぺらいものだが、萜語の矎孊のかたたり的䜜品なのである。矎孊ずは、萜語の䞭における情景描写を䞻ずする挔ずるうえでの圢匏のこずだ。話のテヌマや本質ずは関係ない。萜語が嚯楜の䞭心もしくは、倧衆のための挔芞であった時代ならただ蚱せたが、いたや萜語がマニアックな嚯楜ずなったので、こんな矎孊を掲げおいおは、新しい䞖代の魅力は埗られない。

䞎倪郎は決しお粟神障害者ではない。そう描いおしたうず䞎倪郎の発する蚀葉が党郚小さくなっおしたう。䞎倪郎の発蚀はあくたでも真理を貫いおいるものなのだ。

お皜叀事なんおものははたから芋るず異垞なものに芋えるものである。謡いを隠居が䞉人に教えるくだりを䞀皮の狂気の䞖界にしおしたった。レッスンものはドタバタ喜劇にしおしたえばいいんだ。レッスンなのだから圓然動きが重芁になっおくる。しかし、萜語だから身䜓はたくさん動かせない。でも動かしおいるず客に錯芚させるぐらい蚀葉をスピヌディに繰り出しお、ずどの぀たりがドタバタ喜劇の䞖界を䜜り䞊げおしたうのだ。

粗応者は江戞っ子のデフォルメなのだ。珟代ではそんな江戞っ子はほずんどいないので、このデフォルメも共感できないのは圓然。今埌、粗応者を挔ずる堎合、そこのずころを考えお挔じなければ䞖間からは盞手にされなくなる。はっきり蚀っお、粗応者を昔のスタむルでのんべんだらりずやっおいるや぀はバカだ。