死の恐怖と生の喜びのパターン.
- drive
- 🎓フロイト心理学の用語
- 派生して西洋芸術主題
- 📝盲目的な意志/Wille
❤エロス
「生の本能」「愛の本能」.
- 👱🏼プラトンがまず論じた.
- ❤エロティシズム: バタイユ.
- 🎹ワーグナー: 歌劇タンホイザー
💕リビドー
性的衝動を発動させる力.
💀タナトス
死の衝動.
破滅への突進, タナトスへの意志を主題にする芸術作品まとめ.
メンタルヘルスにおける💀希死念慮の芸術表現. 自殺をテーマにした芸術作品.
音楽
文学
💀タナトスへの意志
Insights
👉Related
🦊なぜがタナトスがなぜわたしにとって重要か?
大学生のときの🖊虚無との戦い(geocities). ここにおける虚無とは、タナトスへの意志のいいかえ.
📚人はなぜ戦争をするのか? アインシュタインとフロイトの往復書簡 花風社
アルバート・アインシュタイン
[人間を戦争というくびきからときはなつことはできるのか? 」・・・これがわたしの選んだテーマです.
すべての国家が一致協力して, 一つの機関をつくればよいのです. この期間に国家間の問題に対しての立法と司法の権限を与え, 国際的な紛争が生じたときには, この機関に解決を委ねるのです. 個々の国に対しては, この期間の定めた法を守るように義務付けるのです. ところが, 裁判というものは人間の創り上げたものです. 何かを決定しても, 実行力がなければ, 法以外のものから大きな影響を受けます. 法や権利と, 権力とは結びついてます! 司法機関には権力が必要です. 権力・・・高く掲げる理想に敬意を払うように強いる力・・・それがないと役に立ちません. 国際的な平和を実現しようとすれば, 各国が主権の一部を完全に放棄し, 自らの活動に一定の枠をはめなければならない. しかし, 現実には, 望めないでしょう. 数世紀もの間, 多くの人々が平和への努力をしてきましたが, いまだ平和は訪れません.
人間の心自体に問題があるのだ. 人間の心の中に, 平和への努力に抗う様々の力が働いているのだ. たとえば, 権力欲. 自分の利益の追求. なぜ少数の人たちがおびただしい数の国民を動かし, 自分たちの欲望の道具にすることができるのか? なぜ少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか? それは, 少数の権力者が学校やマスコミ, そして宗教的な組織ですら手中に収め, その力を駆使することで抱いたすの国民の心を思うがままに操っている! しかし, それだけではありません.
人間には本能的な欲望が潜んでいる. 憎悪にかられ, 相手を絶滅させようとする欲求が! 破壊への衝動が! 人間の心を特定の方向に導き, 憎悪と破壊という心の病に犯されないようにすることはできるのか? これが最後の問いです.
ジークムンド・フロイト
権力は「暴力」と言い換えられます. 人と人との間の利害の対立, これは基本的に暴力で解決されるものです. 動物はみんなそうして決着をつけます. 人間の場合, 意見や思想の対立もありますので, 暴力とは異なる新たな解決策が求められますがこれは文明が発達してからの話です.
敵を徹底的に倒すには, 暴力を使い, 二度と立ち向かってこれないようにすればいい. しかし, 恐怖心を徹底的に植えつけ, 生かしておき, 何かの労働に使おう! 暴力で敵を殺さずに, 屈伏させるだけで満足するようになるのです. これが, 敵に情けをかけることの始まりです. はじめは, 力の強いものが支配権を握りました. むき出しの暴力, あるいは才知に裏打ちされた暴力が支配者を決めたのです. しかし, 誰でも知っているように, このあり方は, 社会が発展して行くにつれ, 暴力による支配から, 法 (権力) による支配へ変わっていったのです.
しかし, どのように? それは, 多くの弱い人間が結集し, 法として, 一人の権力者の強力な力に対抗したのです. 法とは, 共同体の権力です. しかし, この力も, 暴力であることには変わりません. 一人の暴力から, 多数の暴力に変わったのです.
暴力の支配から法の支配へ移るにあたっては, 多数の人間たちの意見の一致と強力が満たされ, 長く続かなければなりません. そのために, 幾つもの組織を創設し, 社会を有機的にしてゆく. 規則, つまり法律を作り, それを守らせる. 法にのっとった暴力を行使できる機関を定める・・・そうしなければならないのです. 個人の暴力が克服されるには, 多数の人間への権力の移行が必要ですし, そのためにはメンバー間の感情の絆, 一体感, これです.
そこで, 個々人の自由・・・自分の持てる力を他人への暴力として用いることができる自由・・・をどの程度制限しなければならないのか, これを社会が法として定めれば, 問題は解決します. しかし, そもそものはじめから, バラバラな能力とバラバラな力を持った人間たちが住んでいます. こうなると, 法は, 支配者によって作り出され, 支配者の都合のよいものになってゆきます.
すると, 社会には, 法を揺るがす二つの要素があります. 一つは, 支配者層の動き. 「法による支配」から「暴力による支配」へ歴史を押し戻そうとします. もうひとつは, 抑圧された人間がたえず繰り広げていく運動. 「不当な法」を「万民に平等な法」に変革しようとするのです. 第二の方向が現れるのは, 歴史の変革期です. このような場合, 暴力がすべてを決する状態へ逆戻りし, 再び新たな法秩序が生み出されます. (ちなみに, 社会メンバーたちの文化は, 暴力によって変わりません) このように, 法による社会が一度出来上がっても, 利害の対立が起きれば, 暴力が問題を解決するようになります.
とはいえ, 人間が「永遠の平和」を達成するのに, 戦争は決して不適切な手段ではないだろう. 戦争は大きな単位の社会を生み出し, 強大な中央集権的な権力を作り上げることができるのです. 中央集権的な権力で暴力を管理させることができるのです. しかし, 現実には戦争は「永遠の平和」を実現させてはいません. それは, 征服によって勝ち得た状況は, 長続きしないからです. あなたの結論のように, 国際連盟を作ることこそ, 中央集権的な権力ですが, 国際連盟は権力の実行力を持ちません. しかし, これは人類史上かつてなかった実験であり, 権力をある種の理想に訴えることで手に入れようとしているのです!
社会をまとめるためには, 暴力ともう一つ, 共同体の一体感 (そしてこの一体感を表現する理想や理念) が, 必要と述べましたが, はたして, そうした理念や理想では, 権力は現実には手に入りません. 今でも, 暴力が不可欠です.
人間には二つの衝動がある. 一つは, 保持し統一しようとする衝動. エロス的衝動. 場合によっては性的衝動と呼んでもよい. もう一方の衝動は, 破壊し殺害しようとする衝動. 攻撃本能や破壊本能. タナトス的本能. 愛と憎しみ, 引力と斥力. 気をつけなければいけないのが, こうした対立物の一方を「善」, 他方を「悪」と決めつけがちなことです. 二つの衝動が, お互いに促進しあったり, 対立しあったりすることから, 生命のさまざまな現象が生まれます. 愛するものを守るためには, 攻撃的な振る舞いが不可欠です.
破壊への衝動はどのような生物の中にも働いており, 生命を崩壊させ, 生命のない状態へと引き戻そうとします. エロス的衝動が「生への衝動」だとすると, 破壊への衝動は「死への衝動」です. 死への衝動が外へ向けられると, 破壊への衝動になるのです. 内へ向かうと, 精神病的な症状が現れるのです. 攻撃性が外部世界に向けられるなら, 内面への破壊が緩和され, 生命体によい影響を与えます. すると, 戦争は生物学的に正当化してしまうことになるのです. 生物である以上, 仕方ないという結論に達するのです. 以上からの結論は, こうです.
「人間から攻撃的な性質を取り除くなど, できそうもない! 」
しかし, 問題は戦争とは別のはけ口を見つけてやればいいのです. それは, その反対の衝動, エロスを呼び覚ませばよいことになります. だから, 人と人との間の感情と心の絆を作り上げるものは, すべて戦争を阻むはずなのです. 実は, この感情の絆には, 二種類あります. 一つは, 愛するものへの絆のようなものです. もう一つは, 帰属意識や一体感によって生み出されます. こうした結びつきこそ, 人間の社会を力強く支えるものなのです.
人間は指導者と従属する人間に分かれます. 大事なのは, 優れた指導者です. どのような状況が理想でしょう. 当然, 人間が自分の衝動を余すことなく理性のコントロール化におく状況です. このような状況にたどり着けば, 感情の絆は消えるかもしれませんが, 人間の社会はいつまでも完全な一体化を見せるに違いありません. しかし, それはユートピアな幻想です. 現実の問題を解決しようとして, 理論家に相談しても, あまり多くの成果は返ってきません.
私たち (平和主義者) はなぜ戦争に強い憤りを覚えるのか? 自然世界や生物学的には, 好ましいもののはずなのに・・・.
なぜなら, どのような人間でも自分の生命を守る権利を持っているから. なぜなら, 戦争はひとりの人間の希望に満ちた人生を打ち砕くから. なぜなら, 戦争は人間の尊厳を失わせるから. なぜなら, 戦争は望んでもいない人の手を血で汚すから. なぜなら, 人間が苦労して築き上げてきた貴重なもの, 貴重な成果を台無しにするから.
私たち平和主義者は, 体と心の奥底から戦争への憤りを覚えるからです. 心と体が反対せざるをえないのです. はるか昔から, 文化が人類の中に発達し広まってきました. 人間のうちにある最善のものは, すべて文化の発展があったからこそ, 身につけることのできたものなのです. 文化が発展していくと, 人類が消滅する危険性があります. 文化の発展のために, 人間の性的な機能がさまざまな形で損なわれてきているからです. 文化が発展していけば, 肉体的なレベルでの変化がひきおこされると思われるのです. それと同時に, 人間の心のあり方にも変化を起こします. ストレートな本能的な欲望に導かれることがすくなくなり, 本能的な欲望の度合いが弱まってきました. 私たちの祖先なら強く興奮を覚えたもの, 心地よかったもの, 今の時代の人間には興味を引かないもの, 耐え難いものになっています.
このように, 私たちが追い求めるもの, たとえば道徳や美意識にまつわるもの, が変化してきたわけですが, この変化をひきおこしたものは, 心と身体の変化です. 文化は, 知性を強め, 情動をコントロールし始めます. また, 攻撃本能を内に向けます.
文化の発展が人間に押し付けたこうした心のあり方・・・これほど, 戦争というものに対立するものはほかにありません. だからこそ, 私たちは戦争に怒りを覚えるのです. このようなあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬほど, 戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている, と.
文化の発展が生み出した心のあり方と, 将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安・・・この二つが近い将来戦争をなくす方向へ人間を動かしていくと期待できるのではないでしょうか? 文化の発展を促せば, 戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!